父になる 17

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父になる 17

「流……もう帰らないと、あんまり遅くなると母さんが心配するし。さっきは、泣いたりしてごめんな」  兄さんは鼻の頭を少し赤くして、恥ずかしそうに微笑んでいた。  色素の薄い髪色と瞳の色は、淡い感情をよく映す。  あぁ本当に泣き顔すらも可愛く愛おしい人だ。 「やっぱり、ちょっと待ってろ」 「えっ? どこへ」 「あのマフラーを取ってくる」 「流っ、だから駄目だって」 「そんなに心配なら、手を繋いでいてくれよ」 「うっ、うん」  兄さんは自分から手をギュッと握ってくれた。  自分の意思で繋いでくれたのが、すごく嬉しい。  そのまま崖のギリギリに立ち、大きく手を伸ばせばマフラーの端に触れることが出来た。 「よしっ! 取れたぞ」  一気に引き抜くと、マフラーは無事に手元にふわっと戻ってきた。 「流、早くこっちに」 「やれやれ臆病なんだな。兄さんは」  いや本当は知っていたよ。ずっと見ていたから、そんなことはとっくに知ってた。でも兄さんが必死に隠すから、知らんぷりをしていただけだ。 「うん、その通りだよ。僕は臆病だ」 「え?」  おいおい、どうして今日に限って、そんな頼りなくあっさりと認めてしまうんだよ。あんなに強がっていた癖に。 「兄さん?」  いつもと違う様子に、なんだか不安になり問いかけてしまう。 「えっ何?」 「大丈夫なのか」  兄さんの視線がグラっと揺らいだ。 「ん……」  はぐらかすように頼りなく揺れていた。 「……大丈夫じゃないかも。久しぶりに戻って来た北鎌倉の空気が良すぎて、月影寺が居心地が良すぎて……流が優し過ぎて……正直……もう帰りたくない程だよ」 「兄さん?」  嬉しいと思う反面、ますます不安が募った。兄さんがこんな弱気なことを言うなんて、やっぱり東京の空気が合わないんじゃないか。新婚生活で何かあったのか。  心が苦しいのか。  無理をしすぎて兄さんが壊れてしまわないか、急に心配になってきた。  散々兄さんを無視して放ってきたのに、俺も大概だよな。 「兄さん、大丈夫か。疲れているなら、もう少し北鎌倉にいろよ」 「……そうだね。そう出来たらいいんだけど……」  これ以上話したら駄目だ。不覚にも泣いてしまいそうになる。こんなに兄さんが弱っているなんて知らずに、冷たい態度を取り続けたことを後悔した。  俺は何してたんだよ? もっと優しくしてやればよかった。今回だって兄さんが来るからって、わざと家を飛び出したりして馬鹿だった。 「ほら、早くマフラー巻けよ。せっかく取って来たんだ」 「ありがとう」  露わになっていた喉仏やうなじ、首筋が見えなくなってしまうのは寂しいが、早く兄さんの心と身体も温めてやりたかった。  この人は俺の手で、抱いて温めてやりたい人だ。でもそれが叶わないのなら、せめて俺が贈ったマフラーで包んでやりたい。  マフラーは優しいオフホワイトとベージュの格子模様で、本当に翠の明るい髪色と似合っていると改めて思った。  翠は擽ったそうに顔を埋め、温もりを確かめるような仕草をしてから「さぁ帰ろう……僕たちの家へ」と、すっと俺に向かって手を伸ばしてくれた。  僕たちの家か。  もう永遠にそうなってしまえよ! と、叫びたくなることを言うんだな。  いい歳した兄弟が手を繋いで歩くなんて、傍から見たらオカシイかもしれないが、もう辺りは薄暗いし今日位いいだろう。  今日の兄さんはいつになく可愛く素直で、ずっと会いたかった兄さんだった。  だからこのままここに居て欲しくなる。ずっと永遠に……  東京なんかに、嫁さんの元になんか帰るなよ。  心の中では仄暗い感情が揺らぎだしていた。
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