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闇……  目を開けても閉じても、闇が僕を襲う。  先程までは白い霧のような(もや)がかかった世界だったのに、今は暗黒だ。  どうしよう、また眼の状態が一段階悪化してしまったようだ。  もう見えない。  光すら感じない。  あぁ……そうか……もう必要ないのか。  僕は光に見放され、見捨てられたのだから。  流はもう傍にいない。もう近づいてくれない。  そのことを悟った瞬間、心が凍り、僕はその場で倒れてしまった。  彩乃さんからの離婚の申し出。  突然向こうから切り出され驚いたが、自業自得だと思った。  僕の心がどんどん離れ、月影寺に帰りたがっている事を察した彼女の辛さを思えば、抗わず頷くしかなかった。  すまない。   そんな事をしでかした僕が、流との復縁を望むなんて、おこがましい事だったのだ。  もう何もする気が起こらない。  もう何も見たいものがない。  だから潜ろう。  闇深い世界へと…… ****  父さんに殴られて、初めて俺の仕出かした事の重大さを悟った。 「兄さんに一体何が起きたんだ? 何であんな怪我しているんだよ。 あの眼は一体どうした? まさか……全く見えてないのかよっ! 誰も……俺には何ひとつ教えてくれないから……だからっ」  もう誰に何に八つ当たりしていいのか分からない。兄さんがあんな状態になるまで、俺は何をしていたのか。ただ嫌なもの、目に入れたくないものを除外してのうのうと生きて来た。  あんなにも大切だった兄さんのことも排除して。 「……翠の眼は、今は光しか感じない状態なのよ」 「……っ、どうして……いつから?」  母が深い溜息をつく。 「あなたには何度か相談しようとしたわ。でもいつも上の空で聞いてなかったでしょう。最初は少し視界がぼやける程度だって言っていたので、私達もあまり深刻に受け止めていなかったの。それがまさか病院から電話をもらって駆けつけた時には、全身傷だらけで腕も骨折しているし、視力を精神的ショックから失っていると診断され驚いたの」  いつもは底なしに明るい母だが、とてつもなく沈痛な面持ちだった。  父には、さっき俺が翠に対して取った冷たい態度が、弱り切っていた翠の神経にトドメをさしたと指摘された。  ただただ、茫然とするだけだ。  確かにここ数年、俺は翠を徹底的に視界と心から抹殺していた。    幸せそうな結婚生活。彩乃さんの色にどんどん染まっていく翠を見ていられず、俺だって限界だった。だが翠はもっともっと傷ついていたのだ。  その事実に衝撃を受けた。 「けっ……怪我の原因は?」 「それがはっきり分からないのだけど、新宿の……繁華街で車にはねられそうになって激しく転んで……一体どうして翠がそんな場所にいたのか不明なの。おそらく何かショックなことがあり完全に視力を失い、信号が見えなくなったのではという見解だったけれども、彩乃さんとの離婚が決まってショックだったのかしら……あぁもうわからないわ。翠はいつもきちんとした子で……何の問題もなかったのに、人知れず苦しんでいたのかしら。可哀想なことをしたわ」  母の嘆き。  父の落胆。 俺の慟哭。  翠をここまで追いつめたのは俺だ。  俺のせいだ。 「すまなかった! 俺が兄さんの世話を全部するから、任せてくれよ!」  気が付くと、切に願い出ていた。 「ありがとう。流……あなたたちは、小さな時からとても仲が良い兄弟だったのを思い出して。翠が自分を取り戻し、再び心から笑えるかは、流、あなたにかかっているわ。きっとその時には、目の状態も良くなっているはずよ。頼んだわよ」 「流、お前はとにかく翠を助けることを第一に、これからは生きてなさい、暫くは寺の修行よりも、翠の世話を優先させること」  父と母からの願い。  それは俺にとって願ってもない機会だ。  俺が翠を守る。  翠の心を、必ず連れ戻す。  今日からは、俺が翠の目となり手となり生きて行く。 一刻も早く闇の中で縮こまり怯えている翠に、手を差し伸べてやりたい。 「兄さん、俺だ! 聞こえるか。俺はここにちゃんといる! だから戻って来いよ。もう兄さんを避けたりしない、ずっと傍にいる!」
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