十五夜 長崎奉行たちの不始末

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(六)鼻っ柱の強い長崎奉行 「いまや銅が足りぬというのに、いったいどうやって交易をなさる?」 「そこもとは経済を知らん。金銀銅がなくとも取引はできる。外国相手に買うばかりではだめだ、売ることを考えねば。」 「何が売れるとおっしゃる?」 「昆布、炒海鼠、干あわび、硫黄、日本にも売れるものはたくさんある。」 「そのようなつまらぬ品でまわす長崎の経済など、(あぶく)のようなもの。勘定奉行ともあろう方が本気でおっしゃっておられるのか?」 惣十郎は胃が痛くなる思いで、ふたりの長崎奉行のやり取りを見守る。 片方は勘定奉行の久世広民、もう片方は水野忠通(ただゆき)である。 久世は長崎よりの政策通で絶大な人望がある。日本の特産品を売って外貨を稼ぐべきだと言う。それに対して水野は、金銀銅がないなら長崎での貿易を縮小するべきだと言う。 取引に使う棹銅が足りないのが、そもそもの原因だ。もちろん、銀も足りない。金もいわずもがな。 惣十郎はどちらの意見もわからなくないが、もうひとつ胸に秘めていることがあった。唐人との取引、阿蘭陀人との取引、どちらも向こうの言い値の取引が多いのだ…これは金銀銅が不足した、けっこうな原因ではないかとずっと思っている。 取引相手を絞り込みすぎて、いわゆるがないのだ。自分たちが提示されている価格が適正なのかすら、他国からの相見積りがないのでわからない。なんだって高くなる。 久世広民と水野忠通の話に耳を傾けていた松平定信が、この話はここまで、と笑いながら立ち上がる。 正式な会議の場で、ここまで正面きっての言い合いも珍しい。ましてや久世は水野より10歳は年上、長崎奉行としても先輩だ。どちらも松平が重宝している役人だが、どちらの言い分が通るだろうか…? 松平定信はかつて、幼い将軍相手に「長崎は日本の病の一ツのうち」とまで吹き込んだ男だ。やはり選んだのは、水野忠通の提言だった。銅が足りないのなら、貿易額を2分の1に減らすという。 さらに悪いことに、水野は阿蘭陀を敵視しており、蘭語通詞を迫害する計画も立てていた。惣十郎は絶望的な気分になったが、立場としてはそれを推し進める先頭に立たなくてはならなかった。 ーこれはたいへんなことになる… 惣十郎の心中は穏やかではない。たいていの長崎通はそう思ったことだろう。 江戸でこちょこちょと権力闘争に明け暮れている連中は、大きく躍動し、暴れながら成長する経済を知らない。銅を掘っても出ないなら、昆布を売れ…正論である。商売というのはそういうものだ。 ただひとり日本だけが、つじつまあわせのような貿易にこだわり世界から大きく見放されていくのを、惣十郎は感じていた…
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