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(二)久石新之丞
「おひさしぶりでございます、松山さま!」
「…あっ…眼鏡!じゃなくて、久石どのか!」
かつて唐人屋敷に抜け荷の密偵を放ったとき、女装して活躍…としておこう…した久石新之丞だった。
「お変わりなく、お元気そうで安心いたしました。」
「ああ…久石どのは…まったく変わらんな。」
「いえいえ、ずいぶんと老けましてございます。」
口ではそう言うが、かつて出会ったときと、まったく変わらない。怖いぐらいに若いままだ。ふつうに考えればあれから20年…40歳近いはずだが?
「あの相棒はどうなされた?工藤宇七郎どのは?」
「元気にしておられます。」
「そうか…こたびはどのような件で?」
見た目は頼りないが、この久石は政権中枢とつながる御庭番。何をしに来たのか…?
「こたびは、浄め祓いにまいりました。」
「は?浄め?」
「はい。」
よくわからないが、久石は災害の起きた地域にあらわれ、その被害を少なくし、人々の心を救うのだという。
「手はずとしては、どのような事をなさるのか?」
「まずは、いろいろと見てまわります。邪悪なものが入り込む隙が出来てないか、長崎中を見せていただきたい。それから簡単な結界を張ります。」
「けっ、かい…」
いそがしいときに、面倒なやつが来たかも知れない。結界で安全が張れるなら、なぜ火山がふたつも火を噴くのだ…ばかばかしい。
「もしかして…噴火も止められますかな?」
「それはできません。わたくしができるのは、炎によって起きる水の禍を封じること、人々を癒し、仲たがいを和解させることです。」
「はあ。ぜひご自由にやってくだされ。必要なものがあればお知らせを。」
惣十郎は笑顔でそう言うと、久石を厄介払いした。
その日より、久石はちょろちょろと長崎じゅうを歩き回り、人と話しているようだった。
数日後、ふたたび久石が現れた。
「もう行かれるのか?」
「はい。今度はもっと被害のひどい、雲仙に向かってまいります。」
「結界は張り終わられたのかな?」
「ええ。本職ではございませんので、簡単なものですが。」
ー結界張りにも本職があるのか。
「なにか、長崎で気になることは?」
「やはり…ではありますが、大きな呪詛の中にございます。」
「呪詛?」
たしかに、ここのところ、呪われている、と惣十郎も愚痴ったことがある。
「どのような呪詛であろうか?」
「これはたいへんに強い、政権転覆の呪詛でございまして…」
「政権転覆…」
「ええ。いにしえの聖人君子が闇に堕ちたときに生まれた、権力への妄執なのでございます。天下人を妬み、そねみ、その力を吸っては大きくなります。今回は二十数年前に成就した、炎と結びつき天変地異や大火を引き起こし、人々を分断する呪詛です。」
「はやく祓ってくだされ。」
「わたくしには無理です。」
久石はけろりとして言い放った。
「では、何をしてくださるのだ?」
「ですので、わたくしは起きたことの後始末がかりなのでございます。起きるのは止められません。」
「…」
ふつうなら頭がおかしいと思って打ち捨てるところだが、そういえば以前にも、久石の一行はおかしな力を次々と発揮した。
「そういえば、あの、火を起こす男のほう…工藤どのは何を?」
「あのひとは火を起こすのではありません。火の業を受け止めてやるのです。火には罪がありませんから。」
「なるほど。」
惣十郎は詮索をやめた。わからん。忙しいから理解するのは無理だ。
「それがしが長崎を守る立場としてできることは?」
「これから禍々しい人物が現れます。それから長崎を守れるのは松山さまおひとりです。」
「わかった。かたじけない。」
それからこれを…と、久石は惣十郎に本を取り出した。
「蘭書か?」
「わたしが書いた本草学の本です。毒消しをまとめたものです。長崎で、きっとお役に立つでしょう。」
「これはかたじけない。」
たしかに長崎奉行の不審死が多い。これは役に立ちそうだ。
「気を付けて向かわれよ。雲仙はまだ火を噴き終わっていないようだ。」
「ありがとうございます。松山さまも、くれぐれも気を付けてお過ごしくださいませ。」
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