十六夜 いざよう波のゆくえ

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(三)新長崎奉行、平賀貞愛 長崎奉行不在のなか動く惣十郎だが、やはり権限が足りない。下手なことをすると越権を咎められる。久世に指示を仰ぐために早馬、飛脚を使っても、江戸から返事をもらうまでひと月はかかる…惣十郎の苦悩もひととおりでない。 そんななか、ようやく新しい長崎奉行が到着した。平賀貞愛(ひらがさだえ)という。このあいだ病死した長崎奉行、永井直廉の娘婿で、目付四天王と呼ばれるほど仕事ができるという。年のころは30半ばぐらいか。 平賀は就任早々、惣十郎を呼び出して切り出した。 「松山どのには、いろいろとお話を伺いたい。」 「この松山の知っておることは、なんでもお話しいたします。」 「まず伺いたい。島原大変で、どれほどの民が亡くなっただろうか?」 「まだすべてがわかっているわけではありません…が、地滑りと津波で消えた村の数から察するに、島原藩の中だけで1万はかるく超えるかと。」 「1万…藩主は瀕死と聞くが?」 「はい。心労という話ですが…言いづらいのですが…毒を盛られたとの話も…」 「毒か。」 「はい。長崎奉行はあまりにたくさん急死いたします。こたびの島原藩主さまのことも、被災地を見舞われたのち、急に倒れられたと…くれぐれもお気をつけて頂ければと。」 「うむ。」 話題が急に変わる。 「話は変わるが、御公儀が以前より進めている抜け荷の調査は、どのようになっているだろうか?」 「抜け荷の湊はだいたい把握しておりますが、徹底的な手入れをするには至りませぬ。なにぶん、外様の大大名家が多く…」 「なるほど。どこがひどい?」 「もちろん、薩摩です。琉球を使った抜け荷の仕組みはご存知かと。」 「琉球は表向き外国扱いなので、琉球で取引をおこなった品を、薩摩が日本国内で売りさばくという、あれだな。」 「薩摩は外様大名のくせに、いまや将軍家の外戚です。一橋家に幼い茂姫さまを嫁入りさせ、いつの間にか将軍家の御台所に据えることに成功しました。今後は外戚の地位を利用して、長崎が独占していた貿易の権益を切り崩しにくるでしょう…」 「松山どのの考えでは、それはいかがであろう?」 「薩摩が長崎にとって代わるということですか…もちろんですが、危険なことです。薩摩が貿易の富を貯め込み、将軍家の外戚として御普請すらはねつけるようになれば、その国力はあまりに強大になり過ぎます。」 「長崎奉行として、どのようにすればいい?」 「薩摩への抜け荷の調査は不可能です。まずは、長崎の町の品位と地位を守る。長崎が国の病である、などと言わせぬようにしなくては。」 「具体的には?」 「長崎奉行所と長崎の町民が争わぬことが肝要です。よく治まっておらねばなりませぬ。」 「わかった。」 平賀貞愛は腰が低いし、頭がいい。これはきっとうまくいくだろう…惣十郎も安心した。
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