赤に捕まる

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赤に捕まる

 退魔師を生業としている。  ……などと男子高校生が口にしても、そんな話は虚構の中のものでしかないと笑われてしまうのが関の山だろう。  けれど、実際の身の上がそうである以上、荻原奏(おぎわらかなで)は受け継いだ能力の使い方を習得しなくてはならなかった。ふとした拍子に暴走するかもしれない力のコントロールのためでもあるし、視えてしまうが故に寄ってくる妖魔たちから自分の身を守るためでもある。  だが、遊びたい盛りの高校生が学校から直帰して修行、夜中の外出目的も妖魔退治という状況を理不尽だと感じても罪はない、ないはずだ。 「……眠ぃし」  午後二十三時。  確たる目的地もなく、ただ路上を彷徨っている自分はかなり怪しい人物ではないだろうか。都会の隅っこに位置する程よく田舎なこの町では、夜中になると人通りはほとんどなくなってしまう。今のところ誰ともすれ違っておらず、不審者にならずに済んでいるのが幸いだった。  祖父の言いつけで数日前から見回りを始めたものの、そうそう何かが起こるわけもなく散歩気分が拭えない。緊張感を維持するのも大変で、連日の疲れからか欠伸が出てきた。 「そろそろ帰るか」  生理的な涙が、視界を滲ませる。ぼんやり見えている道の隅で、急にカサカサと何かが蠢いた。黒い靄のような姿に、奏は慌てることなく軽く腕を振る。途端、それはギッ、という軋みに似た音を立てながら消えていった。  凝り固まった負の念──主に人から滲み出た悪しき感情なのだが──は、単体では大した害をなさないものだ。寄り集まると厄介な事を引き起こす場合もあるが、さほど身を脅かす存在でもなかった。 (退治するにしてもせめてもうちょい、面白いヤツが現れてくれればいいのに)  簡単に倒せる雑魚ばかり相手にしていてもつまらない、などと物語に出てくる悪役のようなことを考え、ふるふると首を横に振る。これは現実であり、ゲームではないのだ。安心安全が第一である。  大体、奏が手こずるような大物が出現するなんて事態になったら、見回りを命じた祖父が心労でぶっ倒れてしまう。 「よし、終わり終わり」  最低限の仕事はした、とばかりに家に向かって歩みを進める。  不意に、背中に強い視線を感じた。  慌てて振り向くと、新月の夜空よりも暗い艷やかな髪が目に入ってきた。次いで、淡く光る赤色の瞳とかち合う。血のような双玉がゆるり、と細められた瞬間、意識の全てが『それ』に奪われる。  捕まった、と本能が告げていた。 「お前、あいつらが見えるのか」  尊大な態度で声をかけられ、奏はようやく我に返る。呪縛が解けたかのように呼吸が楽になり、自分が無意識に息を止めていたことに気づかされた。背筋を走る悪寒に、思わず奥歯を噛み締める。  まるで人間の男のような容姿を持った『それ』は、そんな奏の様子を嘲笑うかのように口角を上げた。 (やばい……っ)  間髪入れず、身の内にたゆたう力を掌に凝縮させる。妖魔と呼ばれる存在を消滅させることができるこの力の仕組みを、奏は未だによく理解してはいなかった。ただ、放つ力が当たれば妖魔は消える。それだけわかっていれば十分だ。  念のために、とサコッシュに入れてきた道具を取り出す余裕はない。練られた力をそのまま放てば、狙い通りに光球が疾った。  けれど。 「いい判断だな」 「なっ……!」 「だが遅い」  耳元で声が聞こえる。『それ』は一瞬で肩が触れ合う位置まで移動していた。反応する間もなく、片手で両腕を掴まれ頭上に捻り上げられる。そのまま、手加減なく近くの塀に体を押し付けられた。  奏の放った光は目標を失い、建物に激突する。しかし、妖魔を葬るためだけの力であるため、何も壊すことなく弾け散った。 「本当に俺たちだけに効く力なのか。見たのは初めてだ」  奏による攻撃の結末を愉快そうに眺めていた『それ』は、近くで見るとただの青年にしか見えなかった。だからなのだろう、余計に赤い瞳だけが異彩を放っている。  血のように深く、それでいて不思議と透き通っている深紅。夜の闇にも負けないその輝きから、何故か目が離せなかった。 「……抵抗しないのか?」  ぼんやりとただ見つめるだけの奏を不審に思ってか、『それ』が訝しげに問いかけてくる。うっかり見惚れていたことに気づき、奏は慌てて『それ』を睨み付けた。 「お前、『何』だ?」  言葉の意味をきちんと理解したのだろう、『それ』は片眉を上げながら笑みを浮かべる。 「馬鹿正直に教えると思うか?」  まぁ、教えてくれるはずはないよな、というのが正直な感想だった。  人に災いを齎す人外の存在を総括して『妖魔』と呼ぶ。  その種類は多種多様で、人の念が凝っただけの姿が希薄なモノから悪魔や鬼と呼ばれるモノまで幅広く存在していた。同種でも国や土地によって特性が異なったりするらしく、奏はその辺りをまだきちんと把握できていない。とにかく、種類と呼び名が多すぎるのだ。  さすがに有名どころの存在は覚えているが、いま目の前にいる一見して人間にしか見えないタイプの妖魔は、『視える』者からしても判断がつきづらい。奏のような能力がなければ、おそらく瞳も違う色に見えているはずだ。 (こいつ、かなり強い)  どういう理由かは知らないが、誰の目にも映るほどはっきりとした実体を持っている妖魔ほど能力が高く、人に近い姿をしているらしい。人間社会に紛れ込み、目的を達したり餌を得やすくするためだと考えられていた。  特徴を隠して人間に擬態できる危険度の高いハイランク妖魔は、手練の退魔師でも相応の準備がなければ苦戦する存在だ。  だからこそ、せめて弱点を導き出すために正体を知りたいのだが。 「敵に本質を教えてやるような、そんな優しい男に見えてるのか、俺は?」  楽しそうに首を傾げる仕草が、無駄に様になっている。よく見ればかなり整った顔立ちをしており、なんだか腹立たしい気持ちになった。その勢いを使って、奏は口を開く。 「正体がバレたところで、オレなんかに負ける気はないんだろ? お強い妖魔様が、胆の小さいこと言ってんじゃねーよ」  わざと挑発するようなセリフ回しにしたのは、自分の恐怖心を抑えつけ、ついでに怒りで隙を見せてくれたらいいなぁ、という淡い期待からだ。  このままでは、逃げることすら難しい。  先程の動きの速さを鑑みれば、うまく逃げ出せたところですぐに追いつかれるはずだ。手傷のひとつでも負わせないと、逃げ切ることは不可能だろう。勿論、倒せるのが一番だが、奏はそこまで己の力を過信してはいなかった。  ランクが上になればなるほど遭遇する率は低くなるというのに、なぜこんなところにひょっこり現れたのか。散歩がてらの見回りで大物に出会ってしまった、そんな己の不運を呪うしかない。  だが、表情には極力出さず、相手を睨む目に力を入れる。 「……いい度胸だ」  それは、まるで子供が玩具を見つけたときのような笑みだった。  妖魔の空いていた右手が、そっと頭に触れてくる。それから、褒めるように撫でられた。 「は?」  相手の予想外の行動に咄嗟に頭がついていかなかった奏は、『それ』の顔が近づいたことで更に混乱状態に陥った。頭にあったはずの手は、いつの間にか肩に置かれている。  ぬるり、と首筋を舌が這った。 「っ!?」 「教えてやるよ」  耳のすぐ下で、声が響く。歯の当たる感覚。  思いついた妖魔の名に、奏は背筋を凍らせる。 (こいつは……!) 「俺は、お前らが蚊と呼ぶ存在の王だ」 「………………は?」  文字通り、目が点になった。 「え、何、え……蚊?」  首筋を舐めていた妖魔の頭を凝視する。奏の困惑する様子に気づいたのか、相手は一旦顔を上げた。ぽかんとする奏の頬を軽く摘み、にやり、と口角を上げる。 「冗談だ。まぁ、血を吸うという点では同じだが」 「は?」 「人間には、いつからか吸血鬼とも呼ばれているな」 「やっぱそうじゃねぇか!!」  渾身のツッコミに返ってきたのは、楽しくて仕方がないと言わんばかりの笑い声だった。  再び首元に吐息がかかる。  慌てて拘束を解こうともがいた奏の手が、次の瞬間、びくりと震えた。微かな痛みとむず痒さを首筋に感じる。 「……っ、ぅ」 (噛まれた……!)  まずい、と焦るものの、すぐに体から力が抜けていく。血を吸い上げられる感覚とともに、ふわふわとした奇妙な痺れが全身に巡り始めた。麻酔のような、それよりもどこか甘さを感じるような。  夢と現実の境で微睡んでいる、そんな幸福感が奏を満たしていく。 「じょ……だ、ん……っ」  唇を噛み、必死に思考を保とうと試みる。ぴり、とした痛みと鉄の味が、脳内に広がった靄を少しだけ晴らしてくれた。  お陰で、いつの間にか手の拘束が解かれていることに気づく。なんとか相手の髪を掴んで引き剥がそうとするが、指先にうまく力が入らず添えるだけになってしまう。ならば、と妖魔を滅する力を生み出そうと足掻くも、どんどん酩酊感が強くなる状況では集中できるはずもなく、微かな光すら作り出すことができなかった。 「……はな、せ……、っ」  死ぬかもしれない、という恐怖を覆い隠すように快楽が増していく。強烈な快感に抗いきれず、痺れるような甘さに意識が飲まれる。  落ちた瞼の裏で、赤い宝石のような瞳が煌々と光を放っていた。
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