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 「今回は、本当にショックでしたね」  「え?」  顔を上げると、中年の男性教師、宮田(みやた)がそこにはいた。  彼は職員室の窓に見えるグラウンドを、絶妙な表情で眺めていた。  「吾妻さんが自殺するなんて、想像していなかった」  「私もです」  小島は神妙な面持ちで頷いた。しかし、その言葉には語弊がある。  小島はいまでも、吾妻が自殺したとは、微塵も思っていなかった。ふと横を見ると、隣の席が空いている。  昨日の夕方、まったく吾妻と連絡が取れないということでちょっとした騒ぎになったとき、「僕が家に伺いましょう」と、率先して声を上げた新人の教師。  そんな彼は今、吾妻の凄惨な姿を目撃したことによるショックで休養している。  そして小島の前の席。そこが吾妻のデスクだった。席が近いこともあって、小島と吾妻は頻繁に会話をした。  数日前にはなんの悩みもなさそうな顔をして出勤していたはずの吾妻は、一昨日に自宅の温室で首を自ら掻っ切って自殺したらしい。  そんなこといきなり言われても、信じられるはずがなかった。  そこで小島の頭の中に浮かんできたのは、ほかでもない西谷望だった。  吾妻は生前、西谷と馬が合ったようで、よく校内で語り合っていた。  噂ではプライベートでも会っていたというのだから、それは明らかに、教師と生徒の関係性を超えている。  小島の目には、西谷の方からいやに積極的に擦り寄っているような印象を受けた。そこに小島は、前々から違和感を抱いていた。  そして告げられた吾妻の訃報。  当然ながら、小島は真っ先に西谷を疑ったのだった。  吾妻が自殺? それよりも、西谷に殺害されたと考えた方がよっぽど現実的ではないか。  そう、西谷が殺したのだ。吾妻に自分から近づいたのも、きっと最初から吾妻を殺すつもりだったのだ。    そうに違いない。  そうと決まったら、この自分がすぐにでも西谷のヴェールを剝いでやらなくてはいけない。彼の罪を、自分が暴かなくては——  「すみません」  職員室の入口から、若い女性職員が顔をのぞかせた。  「どうしました?」  宮田が訊く。  「警察の方が、話を伺いたいとのことで」  ふと視線を向けると、職員の後ろでスーツ姿の男女が二人。  「私が対応しますよ」  小島は迷わずデスクから立ち上がり、警察らしき二人と相対した。その中で一番年上に見える高身長の男が口を開く。  「捜査一課です。失礼ですが、名前をお伺いしても?」  「小島久美と言います。吾妻さんとは二年ほど一緒に仕事をしています」  「なるほど」  そう頷いてから、彼は自らを警部の甲府と名乗った。警部、やはり一番位が高いらしい。  隣に立つ若い女性は水戸と名乗った。  二人とも、県庁所在地だ、とくだらないことを考える。 「僕は冬城拾壱郎と言います。以後お見知りおきを」  一方で、二人とは一歩離れたところに立つ、異様な雰囲気の青年がそう言った。顔には満面の笑みを湛えて。  なぜか季節外れのコートをまとっており、頭には場違いなシルクハットが乗っている。 「ええと、あなたも警察の方ですか?」 「まだ見習いですけどね」甲府が言う。「彼、なかなか面白いんですよ」 「捜査に関係ありません」  水戸が真面目な顔をして制した。  苦笑する甲府と、そのやり取りを阿保面で聞いている冬城。よくバランスの取れたトリオらしい。  「訊きたいのは、吾妻さんのことですよね」  「ええ、そうなんです」甲府が咳払いをして答える。「あまりに突然のことで大変ショックを受けていると存じますが、いくつか質問したいことが」  「わかりました」  「最近の吾妻さんに、何か変わったことはありませんでしたか?」  「特になかったと思います。少なくとも、自殺を図るほど追い込まれているようには見えませんでした」  彼には自殺する動機がない、と遠回しに伝える。  「たとえば、秀才の生徒に囲まれてプレッシャーに押しつぶされそうになったとか、そのような様子は?」  今度は水戸が訊いてきた。何かしらの動機を見つけようと、必死なのかもしれない。  「吾妻さんは、それほどプライドが高くありません。むしろ生徒たちを尊敬していて、かといって自分を卑下するようなこともなく、とにかく、プレッシャーなんて感じていませんでした」  「どうしてそう言い切れるんです?」  「え?」吾妻よりも、目の前の女刑事の方が、よっぽどプライドが高いようだ。「二年も付き合いがあるので、吾妻さんのことはよくわかっているつもりです」  「......」  水戸は引き下がり、不承不承というように手帳にメモを取った。  「冬城くん、君からは、何かないのかい?」  甲府が、今まで黙っていた冬城の方を向いて言った。 「何ですか?」 「質問とか、ないのかい?」 「あなたに?」 「いや、彼女に」 「ああ、そういうことか」冬城は今更納得したように頷くと、小島に向き直った。「吾妻さんは、誰かに恨まれたりしていませんでしたか?」  水戸が驚いたように顔を上げ、冬城を睨む。甲府はゆっくりと顎を撫でた。 「ええっと……それって、殺人を疑っているということですか?」 「それは、まだわかりません」  小島は驚いた。  まさか、この三人の中でもこの男が一番鋭い観察眼を持っているとは思わなかった。  二人は自殺として捜査しているにもかかわらず、ただひとり彼だけは殺人を疑っている。  「彼が、自宅に温室を作ってしまうほど植物を育てることが好きだということは、知っていますよね」小島は冬城をまっすぐ見て、切り出した。「その趣味と併行して、彼は過去の未解決事件を調べたりすることが好きだったんです」  「ほう......」  冬城は興味深そうに、頷いた。  「もしかしたら彼は、とある未解決事件の真相に気づいてしまい、その口封じに......みたいな?」  「なるほど! それは面白いですね」    彼は手帳を取り出すと、勢いよくペンを走らせた。  「でも、未解決事件の調査というのは、あくまで趣味ですよね」今度は水戸が食らいつく。「事件の真相に気づいて口封じに殺害される、というのは、いくらなんでも現実離れしています。ですよね、警部?」  「そういう話を、事件関係者の前で話さない方がいいよ」  「ああ、すみません。いやでも——」  「吾妻さんのデスクを見させていただきたいのですが」  「いいですよ」  甲府が提案し、小島は職員室に三人を招き入れた。自分の前にある席に、三人を案内する。  真っ先にデスクを調べ始めたのは、冬城だった。見習いらしいが、だいぶ好奇心が旺盛ならしく、二人よりもアクティブだ。  しかし彼は、ペン立てに置かれた、デスクの上に放置された植物をじっと眺めたり、と一見意味のないことをしているように見えた。  もしかして、彼が殺人を疑っているのも、なんの根拠もない戯言なのだろうか。  本当に彼を信用していいのか、不安になってきた。  やはり、事件の犯人、いや、西谷望を追い詰めるのは、この自分でなくてはいけないのだろう。そう思い、小島は少し嬉しくなった。
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