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「すごい、綺麗!」  隣を歩く絵梨が、長い雑木林を抜けて姿を現した威容に歓喜の声を上げた。すかさず携帯電話を取り出してシャッターを切る。  「やっぱ、こういうところ好きなんだ」  「うん、大好き!」  西谷の呟きに絵梨が大きく頷く。その無邪気な笑顔に、支配欲が高まった。いや、もはや彼女は自分のものだ。  思わずその華奢な体に抱き着きたくなったが、ここが公共の場だということを思い出して手をポケットに入れた。  西谷の視線の先では、何人かの観光客を乗せた吊り橋が風に揺れている。観光客の焦ったような楽しんでいるような小さい叫び声が聞こえた。  その先では幾重にも重なった山の稜線が、昼の日差しに照らされて青々と輝いている。  それがまるで延々と奥へ続いているように思えた。  そんな景色に時間の流れを忘れていると、不意に水が岩にぶつかる音が鼓膜を震わす。  「近場の絶景スポットといえばここくらいしか知らなかったんだけど」西谷は目下を流れる川を見下ろした。「気に入ってくれたならよかった」  「久しぶりに晴れたし、最高」じめじめとした空気は相変わらずだが。「ねえ、望くん。せっかくだし記念写真撮ろうよ」  「記念写真? いいけど」  「ほら、新しいチェキ持ってきたの」  絵梨はそう言って、楽しそうに正方形の機械を掲げた。  二人は山々を画角にいれるために、崖に一歩近づいた。 「ボクが撮ろうか」 「うん!」  絵梨はうなずいて、西谷にカメラを渡した。その刹那に、崖に咲く彼岸花を捉える。  だ。  真っ赤。まるで—— 「はい、チーズ」  シャッターを切ると、間もなくして下部から写真が出てきた。 「見せて!」 「二人分撮ってから、あとで一緒に見よう」西谷はそう言って写真をポケットにいれた。「次、ボクね」  視界が真っ赤に染まり、よろけながらも西谷は絵梨と場所を交代する。  やはり、わざわざこんなところに来るべきではなかった。  絵梨が気に入ってくれたのならいいが。  どうしても、余計な記憶がよみがえる。  機械の下部から、ゆっくりと写真が出てきた。  「あれ、何も写ってないじゃん」  「待ってればだんだん色づいてくるんだよ。馬鹿だな」  「馬鹿じゃないし」  絵梨はふてくされた表情で西谷を睨みつけたが、すぐにほほ笑んだ。  「あ、これさっきの写真」  そう言って、西谷はポケットから絵梨の映る写真を手渡した。  「ありがとう!」絵梨は嬉しそうに受け取るも、すぐに顔をしかめた。「私ってこんな不細工?」  「鏡に写った左右反対の自分ばかり見てるから、本当の自分の姿にギャップを覚えてるだけだ」  「左右反対になっただけで、そんなに違うわけ?」  「違うよ。人はわずかな差異にも違和感を覚えるからね」  西谷の映る写真にも色がついてきた。青みがかっていたものが、やがてわずかに赤みがかる。  そこには、絵梨とは違って想像となんのギャップもない、端正な顔立ちの自分が写っていた。絵梨に写真の才能がないのか、背景の山々にはピントがあっておらず、吊り橋も不格好に歪んでいた。  これではどこで写真を撮ったのかさえも——  いや。  写真にあるものを捉えて、全身が粟立った。  どういうことだ。  なぜ、そこに——  「じゃあさ、望くんから見て私って可愛い?」  いや、ただの錯覚かもしれない。  「ん?」  「だから、望くんから見て——って、恥ずかしいから二回も言わせないでよ」  そう恥じらう彼女の顔が醜くゆがんでみえた。  「なあ、絵梨」  「何よ」  「絵梨の写真にも写ってる?」  「何が?」  「吊り橋に、黒くて細長い影」  「え? ああ、写ってるよ。誰だろう」  錯覚ではない、か。  なら、確かにこの場にいるのだ。  あの、いつまでも自分にまとわりつく、忌まわしい刑事が——  鼓動が速くなるのを感じた。  西谷は恐る恐る吊り橋を見た。  黒い影は、ない。  「お撮りしましょうか?」  不意に声がして、振り返るとコートとシルクハットを身に着けた男が、そこに立っていた。口には満面の笑みを湛えている。  「え?」  西谷は思わず声を上げた。  「お二人が同時に写った記念写真も撮らないと」  「あ、ああ」  「いいじゃん、望くん。お願いしようよ」  カメラを男に渡し、二人で崖の方へ寄る。  「では行きますよー。ええと、シャッターは……」  「あ、右上のボタンです」  「ああ、ここですか。では、改めまして。はい、ルート二の二乗は?」  奇抜な掛け声とともに、シャッターが切られる。そして出てきた写真を、男は不思議そうに眺め始めた。  西谷と絵梨が男のもとへ駆け寄った。  「ねえ、ルート二の二乗って何?」  「二だよ、二」絵梨の素朴な問いに、西谷は投げやりに答えた。「あの、ありがとうございました」  男はなおも、色づいていない写真を眺めている。  「って、意外と身近に多いですよねえ」  「え?」  「ああ、どうぞ」彼は写真とチェキを西谷に渡した。「お幸せに。西谷望さん」  「どうも、冬城拾壱郎さん」  「え、もしかして知り合いだったの?」  絵梨が目を丸くして言う。  「まあね、腐れ縁というか」  西谷が目の前の男を睨みつけながら言う。  「そんなこと言わないでくださいよ」彼はそう言いながらも、むしろ嬉しそうだった。「せっかくなので、一緒に回りませんか」  「お断りします」  西谷がきっぱりと言った。きっと彼は自然な成り行きでまた事件の話へもっていこうとするつもりだ。  「そうですかぁ、残念です」  そう残念そうに言う彼の眼が、一瞬鋭く光った。  その瞬間、『断る』という選択肢が真っ赤に塗りつぶされる。  「……絵梨、さっきのレストランで待ってくれないか」  「え? 私も一緒に——」  「ボクの言うことを聞け」  「……はあい」  絵梨は意外とすぐにあきらめた様子で、「じゃあ」と西谷に手を振り、さっきの道をもどっていった。  「いつになったら、ボクから離れてくれるんです?」  数分の沈黙ののち、西谷がため息まじりに切り出した。  「さあ」  彼は爽やかにほほ笑んだ。  
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