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西谷は小学生のころ、はじめて人を殺した。
相手は同級生の優太という少年だった。
彼とは幼稚園からの幼馴染で、当時は一番仲のいい親友だった。
家族ぐるみの付き合いもあり、よく二世帯でどこかへ遊びに行くこともあった。
そしてあの夏の日も、彼の家族とともに西谷たちは山へバーベキューに来ていた。
親たちが金網で肉を焼いている間、西谷と優太は二人で山を探検することにした。
「山って広いんだね」
「そうだね」
特に面白くもなんともない会話をしながら、ほとんど道とは言えない道を進む。その間、優太は首にかけたカメラのシャッターを頻繁に切っていた。
二人は冒険家になった気分でしばらく歩き、やがて古びた吊り橋を見つけた。
目の前は絶壁になっていて、足元に目を向けると、激しく急灘が流れていた。
「橋だ! すごい、すごい」
優太は絶景ともとれる眺めに興奮した様子で、カメラのシャッターを切る。
「本当だ。すごいな」
西谷はそう呟きながら、さりげなく崖と優太の位置関係を目測していた。優太は今、崖をのぞき込むようにして写真を撮っている。
彼の足元には、真っ赤な彼岸花が風に揺れていた。
「俺も、写真撮ってみたいな」
西谷は呟くように言った。
「え? いいよ」
優太は一応、というようにもう一枚写真を撮ってから、カメラを西谷に渡した。
「ありがとう」
これで必要な道具はそろった。
西谷は受け取ったカメラをゆっくりと賞玩したのち、嬉しそうな顔でこちらを見る優太を、崖から突き落とした。
崖からのぞき込んでみると、優太は重力に抗おうとしているのか、やたらと四肢をばたつかせながら川の急流に飲み込まれていった。
西谷は、優太を殺した。
理由はただ一つ。気に食わなかったからだ。
常に女子からちやほやされ、人気者の彼が。
当時、西谷もクラスではそこそこの人気があったが、それでも一番手は常に彼だった。一番手がいなくなれば、二番手の西谷が繰り上がる。自分が一番になる。
小学生でも理解できる、単純明快な論理だ。
ということで、ついに邪魔者の排除に成功した西谷は、川の泡沫となった優太との思い出を何となく思い出しながら、次の作業に移った。
背負っていたリュックから三十メートルほどの縄を取り出すと、その一端を優太の遺品となったカメラに結び付ける。もう一方は自分の腰に巻き付けた。
カメラを起動する。画面には崖へ向かう道が映し出された。動画撮影のモードに切り替え、撮影を開始する。
西谷はカメラを構えた状態でわざと息を荒くしながら、その場に数分間立ち尽くした。
そして決心したように、ゆっくりと崖へと向かう。
次に崖下をのぞき込むようにカメラのレンズを向ける。やがて再び視点を戻し、大きく息を吸ったのち、カメラを崖に向かって落とした。
落下したカメラは優太と同じように、勢いよく川の中へ飛び込んだ。やがて見えなくなる。しかしカメラと西谷は、縄によって繋がっている。
西谷は腰に巻き付けた縄を引っ張って、カメラを再び地上まで持ち上げた。すぐさま動画の撮影を終え、完成した動画を確認する。
防水機能があるため、故障はしておらず、西谷の荒い呼吸も、川へ落ちていくシーンも、再び崖の上に引っ張り上げられるシーンも、しっかりと記録されていた。
今度はその動画を編集し、川に落ちてから縄で引っ張り上げられるまでのシーンは削除した。
こうして、この映像は、あたかも撮影者がカメラを持って崖から飛び降り、自殺を図ったような映像へと姿を変えた。
それから西谷は、両親たちのいるバーベキュー場に走って戻った。そして彼らに、「優太がいなくなった」と泣きながら告げた。
顔を青くしてバーベキューを中断し、優太の姿を探し出す一行の姿。
それを横目にほくそ笑みながら、西谷はリュックからパソコンを取り出し、先ほど撮ったカメラの映像を移行する。
それから、当時流行していた生配信サイトに、優太のアカウントでログインした。優太はゲームが趣味で、何回かこのサイトでゲーム実況の生配信をしていたことも、西谷は知っていた。
急いで生配信の準備を開始する。
配信の題名は、「もう限界です。」。
配信を開始する。
ゲーム実況モードにして、パソコンの画面を映した。あの動画が、すぐに流れ始める。
そしてその配信を、西谷は自分の携帯電話で視聴した。すぐに両親たちのもとへ走り、優太らしき人が生配信していることを告げた。
両親たちは、崖の映像が映された西谷の携帯の画面を、食い入るように見た。
「これが、優太なの?」
母が訊く。
「いつも彼がゲーム実況とかをしているアカウントなので、間違いないと思います」
西谷は不安げな表情を浮かべながら、そう答えた。
右上に表示された現在の視聴者数は四人。コメント欄には、「どこ、ここ?」という視聴者の質問が表示されている。
動画からは激しい波の音とともに、西谷の荒い呼吸が聞こえてきた。優太の両親には、これは優太の呼吸音に聞こえているのだろう。
「『もう限界です。』なんて……! 大変だわ。ここはどこなの⁉︎」
優太の母が半狂乱で叫ぶ。予想通りの反応だった。
「たぶんあの吊り橋があるところだ! 急がなきゃ」
優太の父が駆け出した。
その光景を、西谷の両親は何をしたらいいのかわからない、という表情で見守っていた。
そろそろだ。
西谷は、画面を食い入るように見つめた。撮影者が、崖へとゆっくり歩いていく。
そして、勢いよく飛び降りた。実際にはカメラを投げ捨てただけなのだが、こうしてみると、見事に撮影者も一緒に飛び降りたのだと錯覚してしまうような演出になっている。
「あ、落ちちゃった!」
西谷が叫ぶ。
たった今、優太が川へ飛び込んだ。
その残酷な事実を叩きつけられた優太の両親は、泣き叫びながらその場に崩れた。
西谷は口角を上げまい、と必死に口に力を込めていた。
この瞬間、西谷の作戦はほぼ成功した。
優太が川に飛び込んだ。そのとき西谷は、両親たちと同じ空間にいたわけだ。鉄壁のアリバイが、今完成したのだ。
間もなくして、山のふもとを流れる小川で優太の死体が発見された。
優太が(実際は西谷なのだが)飛び込む瞬間を生配信していたという客観的事実から、当然ながら自殺と判断された。
無論、鉄壁のアリバイを持つ西谷が犯人として疑われることもなかった。
それから西谷は、優太とは対照的に、実に普段と変わらぬ日常を生きた。
変わったことといえば、西谷が学校で一番の人気者になったことくらいである。
不動の人気者を失ったクラスは、ひと月ほどはかなり不穏な雰囲気に包まれていたものの、クラスの皆が現実を受け止めたことによって、やがて明るさを取り戻し始めた。
そして西谷が優太の代わりを務めたことによって、彼の手にしたものは、すべて西谷へ引き継がれた。
彼がかつて所属していた学級委員も西谷が代行し、クラスの盛り上げ役も西谷が代わって務めた。
そうやって、優太の存在はだんだんと忘れ去られ、西谷という存在が、空席となった王座に堂々と腰を下ろしたのだった。
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