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———————————  「この学校で生物を担当していた、吾妻進先生が、不慮の事故により亡くなりました」  金曜日の早朝。蒼海高校の体育館。  ステージに情けなく立ち尽くす教頭の言葉に、制服姿の男たちでひしめく体育館にどよめきが走った。  西谷の前に立つ富田(とみた)が、驚いた顔でこちらを見る。  「まじかよ」  「残念だな」  西谷は、平静を装いつつも驚きを隠せない、というような表情を心掛けながら、そうつぶやいた。  全国でも最高峰レベルの頭脳を持つ人々が集く、まさに桃李満門(とうりまんもん)といったこの空間。それとは裏腹に、彼らは吾妻の死に理解が追い付かないのか、魚のような阿保面をして騒ぎ出す。  西谷は不意にどこからか強い視線を感じて、その方向を見た。どうやら気のせいらしい。  一方の教頭は眉を八の字に下げて、続けた。   「吾妻先生の死に、ショックを受ける方も多くいると思われます。皆さんの精神の休養という意味を含めて……ええ、本日はこれを持ちまして、速やかに帰宅するようお願いいたします。それから、今日以降、学校をしばらく休校することとします」  体育館に設けられた時計を確認すると、まだ八時五十分。  学校の教師の一人が亡くなったという訃報に、皆なんとも言えない表情のまま体育館を出ていく。  西谷もなるべく彼らの中に紛れながら、自然にため息をついてみせた。  「まさか、こんな早く亡くなるとは思わなかった」  「ああ」  西谷が言うと、隣を歩く富田が痛々しそうにうなずいた。  昇降口で外靴に履き替えながら、西谷は自分の世界に入り込む。  吾妻を殺害してから二日が経った昨日の夕方、ニュースサイトで『岬ノ山(みさきのやま)市の一軒家で、若い男性の遺体発見』という見出しの記事を発見した。住所が一致しているので、間違いなく吾妻のことだと分かった。  吾妻は毎年この時期、自分の趣味で家に引きこもるために数日間休養を取っていた。なので、殺すのならここしかない、と常々思っていた。  今年も吾妻は二十八日まで休養を取るつもりだということを耳にした。すかさず西谷は、吾妻に話しかけた。  『温室のカーペット、そろそろ古くなってきているので、買い替えたらどうですか?』  『そうだね』  『良かったら俺が買ってきますよ』  『いいのかい』  西谷はこうして、彼の自宅に訪れる口実を作り出した。まさに啐啄同時(そったくどうじ)だった。  そして、西谷はついに計画を決行した。  ——二十九日になっても吾妻が出勤してこない。それを不審に思った教員が彼の家に訪れ、死体を発見——  どうやら、あらかじめ考えていたシナリオ通りに事が進んだらしい。  声を上げて笑ってしまうほど、事態はうまく進んでいた。  吾妻も、教員も、警察も、全員が西谷の掌の上で踊っている。  「吾妻先生、ニュースによると自殺らしいけど、なんか思い悩んでいたんかな」  駅までの道を進みながら、富田が言った。  「他人の気持ちを完全に理解するのは、ほとんど不可能だからね」  「……まあ、天才のお前が言うなら、そうだよなぁ」  「お前は、俺のことを過信している節があるな」  富田も学年で上位十パーセントに入る秀才だが、一方の西谷は毎回の定期テストで一位か二位の好成績だ。テスト勉強をしなくとも、この程度の点を取るのは容易かった。  「お前がミスったところを、見たことがないからな。俺と違って」富田は自嘲気味に笑う。そしてふと思いついたように西谷を見た。「そういえば望って、先生と付き合いあったよな」  「まあ、仲は良かったな。たまに家にお邪魔するくらいは」西谷の頭に黄色が浮かび上がる。注意、警告の色だ。「でも、そんな俺でも、先生が思い詰めてたことに気づけなかったわけだからさ」  「あと、先生と顔立ちが似てるって、よく言われてなかったっけ」  「俺はそう思わないけど、周りが言うには、そうだったらしいな」実際は、吾妻と容姿が似ていることに、かなりの自覚があった。「本当に残念だ」  脳内で黄色が赤みがかったので、西谷は強引に会話を終わらせた。  朝、多くの店が開かれていない、閑散とした商店街。その道に、西谷が一歩一歩と足を踏み出すたび、周囲がざわめくのを感じた。  ふと横に視線を向けると、商店街の中ほどにそびえる女子高の窓から、複数の女子が顔をのぞかせていた。  「もしかして、望さんですかぁー⁉︎」  女子の中の誰かが、そう叫んだ。    そうだ、と返すのも野暮な気がして、西谷はポーカーフェイスのままそちらへ手を振ってやった。瞬時に黄色い声が上がる。  西谷の人気は、優太を殺して以来、維持されているどころか日々倍増していった。  何回か国際的なコンテストで入賞しメディア出演もしているために、その界隈での認知度は高い。  さらに自らの恵まれたルックスのおかげで、巷の女子からも人気があるらしく、そんな自分の姿を拝もうと、数人の女子が校門の前で待ち構えていることもしばしばあった。  たとえ学校が男子校でも、西谷ほどの偉大な存在になれば、何にだってなれるのだ。  「彼女たち、俺のこと言ってんのかな」  富田が自虐を込めてそう言った。  「どうかな」  西谷はふっと笑った。  脳内は緑に染まる。安全だ。
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