その頬に触れる

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ゾロゾロと、一曲目を終えたアーティストが戻ってくる。ピンチの大役に、もはや私情を挟む余裕なんてない。 「失礼します!」 楽屋に戻ってきた順に、私がメンバーの頬に蝶を描く。先輩は、私がメンバーごとのイメージに合う変化を付けられることもお見通しだった。変化を付けて二人目を描き終わった時に、先輩からお墨付きの目配せをもらった。一人、また一人と描き終えて、ついに最後の一人。緊張するとか、言っていられない。本番まで、あと7分。 「失礼します!」 「お願いします」 そう言って目を閉じて、私に身を任せるこの美しい顔は、たぶん10年前の彼。大丈夫。きっと、私しか覚えてないから落ち着け。自分に言い聞かせながら、彼の頬に触れて蝶を描く。長いまつげ、きめ細かい肌、整ったフォルムに気持ちが持っていかれそうになるのを抑えて、筆先に集中する。 「李音、あと5分だよ大丈夫そう?!」 「はい、大丈夫です!」 横から先輩が私の名前を呼んだとき、彼の頬が私の手の下でピクっと小さく動いた気がした。蝶を描き終え、最後に小さな音符を一つアクセントに添えた。私の手が頬から離れると、作業の終わりを察知した彼がまぶたを開ける。描かれたデザインをミラーで確認すると、頬をちょんちょんとつついて微笑む。 「素敵だ、ありがとうございます」 その笑顔は、あの日と同じ。ううん、あの日よりさらに数倍輝いていて本当に眩しかった。 なんとか無事に、彼らの二曲目のパフォーマンスに全ての準備が間に合った。人が少なくなった楽屋で、達成感と安堵でぼう然としていると、先輩に声をかけられた。 「李音が絵を描ける子でよかったー!ほんとありがとう助かった!」 「お役に立ててよかったです!」 「また何かあったらお願いね?さ、撤収!」 「はいっ!」 ーーバタンッ!! 元気な返事とともに動き出そうとした私は、周りが驚く程の音を立ててその場に倒れた。 貧血で朦朧とする意識の中、誰かが私を抱き抱えて運んでくれている気がした。とても優しいあたたかさに包まれ、私は一時的に気を失った。
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