11.仁王・裏

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11.仁王・裏

 逸彦が京王線の車内で身を捩る思いをしていた頃……。  多岐絵と光樹が後ろ手に縛られて転がされているのは、ホストかキャバクラか、水商売の店のようであった。営業していた頃はさぞかし派手な内装だったのだろうと思うのだが、今はボックス席のあちこちが破壊され、シャンデリアだけが虚しく輝いていた。といっても、電気は通っていない。窓の隙間から刺す外の明かりがシャンデリアに反射し、少し室内を明るくしているに過ぎない。 「光樹、出血は」  鏡張りの壁際にあるボックス席に転がされていた多岐絵が、同じく後ろ手に縛られて転がる光樹に声をかけた。爆音で鳴り続ける音楽のせいで、顔を近づけなくては話ができない。芋虫のように、無傷の多岐絵が体を寄せた。 「大丈夫、かすり傷だから。それより、この子……」  光樹の横には、黒髪に普段着姿の若い女が転がっている。水や食べ物の空き容器が転がっているところを見ると、数日はここで過ごしていたようだ。一応口にできるものは与えられているようだが、衰弱が見て取れた。  女に変装して多岐絵を連れ出した男と、デパートの階段で光樹に襲いかかってきた大男は、それぞれ慌ただしく電話をかけまくっている。その騒音に紛れるようにして、光樹がそっと若い女の耳元に顔を寄せた。 「大丈夫? 」 「……はい」 「名前は、言える? 」 「……百合香、加藤、百合香」 「百合香ちゃんね。事情はわからないけど、きっと助けが来るから、頑張って、ね」  女……百合香は縋るような目で光樹を見上げた。何しろアジアの美神と称される美貌が目の前で微笑んでいるのだ、それだけで救われるような思いがして、百合香は微かに頷いた。 「怪我を、してるんですか」 「ちょっとね、ナイフで切られたけど、浅手だから」  すると、百合香は靴を脱ぎ、必死に靴紐を解こうとした。手が拘束されているため、口を使って、何度も靴を落としながら、何とか紐を取り出した。 「こちらを向けますか」  光樹は言われるがままに百合香に背を向けるようにして右腕を差し出した。後ろから、百合香が口を使って靴紐を巻き、やっとの思いで縛り上げた。と言っても力は弱く、止血の効果がどれほどのものかは分からない。だが、こんな折に、自分の命よりも光樹の怪我の止血に全力を注ぐ百合香の根性に、多岐絵も光樹も心を震わせていた。 「ありがとう」 「私は医者の卵ですから……ごめんなさい、口だと、あまり上手くいかない」  絶対に助ける……光樹が口で象った言葉に、百合香が嗚咽をこらえた。  まだ人数の全容がわからない以上、無理に動くわけにはいかない。しかし、窓から漏れる光には橙色が混じり始め、日暮れが近いことを知らせている。 「百合香ちゃんは、何日かここに? 」  犯人達の様子を盗むように探り探り、多岐絵が小声で聞いた。 「もう何日経ったのか……一週間くらいかな……誰か、探してくれているのかな……」  そこへ、新手が2人、男ばかりが入ってきた。どれも黒髪が生え出している中途半端な茶髪で、ヤクザとも学生とも判別できないような連中である。 後から入ってきた2人がスマホを2台取り出し、操作し始めた。アクセサリーが付いているところを見ると、女性のものに違いない。 「あれ、あなたの? 」 「ええ、ここにきてすぐ取り上げられて……私のを使って色々やってるみたいで……旅行に行くとか、友達に打っちゃったみたいで……これじゃ誰も気付いてくれない」 「大丈夫よ。もうすぐ助けは来る。夫も、光樹の兄も、きっと動いてくれている」  何が大丈夫なのか、根拠など何もない。スマホはおろか、光樹も多岐絵もバッグごと取り上げられ、何も知らせる手段がない。 「逸ちゃん、お願い……」  こんな状況でも、逸彦が必ず助けに来てくれるという確信だけは揺らがない。事件に関しては天才的に勘のいい逸彦なら、必ずここを嗅ぎつける……必ず、必ず来てくれる……!  グッと泣きたくなるのを堪えて歯を食いしばる多岐絵に、車座になって百合香のスマホを覗き込む連中の会話が届いてきた。会話がしにくいのか、流石に音楽の音量を少し下げたようであるが、好きなジャンルではないだけに、耳障りなことには違いない。機械音だけで出来上がっているような音楽に、人間を苛立たせる以外の益はあるのかと、多岐絵は心の中で憎まれ口を言って何とか自分を保っていた。 「サツから反応は」 「まだ無ぇわ……ちゃんとメール見てんのかなぁ」 「それよか勇政のヤツ、全然連絡取れねぇんだけど」 「あいつ、マジで独り占めしたんじゃねぇの? サツが押収したってのも、フカシってことは無ぇ? 」 「いや、あの焦り方は、そんなんじゃねえだろ。第一、独り占めなんかしたら影山どころか六曜にもマトにされんぞ。六曜の舎弟になれるどころの騒ぎじゃなくなるぜ」 「じゃ、やっぱ影山組に拉致されたんじゃ……六曜興業の江藤さんに早くシャブを上げてケツ持ってもらわねぇと、俺らもヤベェんじゃねえの」 「上等じゃん、ヤクザなんか怖かねぇよ、江藤さんにもらったチャカもあるんだし……くっそう、サツのくせにヤクザの上前跳ねやがって」  窓際で車座になって交わされる5人の会話は、まるで子供の噂話である。どの男も20代半ばには達していると思われるが、余りにお粗末な内容に、多岐絵はかえって恐怖を感じた。目の前の利権しか見えていない連中ほど、躊躇わずに犯罪を犯す。後先など考えられないのだ。だからこそ、無用となれば、自分達は何の躊躇もなく殺されるに違いない……。   ふと、多岐絵は壁を見回し、男達の写真が飾ってあることに気づいた。 「ここって、ホストクラブだったんだ……あ、あのナンバー2、妊婦に化けてた子だ。海斗だって」  光樹も、窓際に集まっている男達の人相と、壁の写真とを見比べ始めた。 「確かに……全員、ここの店のスタッフみたいだね。俺を襲ってきたのは……嶺二」  と、光樹と多岐絵が同時に口を閉じた。  元ホスト達が、一斉にこちらを向いたのである。 「じゃあさ、も一度こいつらの写メ、警視庁に送ろっか」 「それじゃインパクト無さすぎだろ」  光樹と対決した大男・嶺二が、まっすぐに光樹に近寄ってきた。 「こんな凄ぇ美人だぜ、裸に剥いてヤっている所をネットに流すくらいのことはしないとよぉ、警察の連中は本気で食いつかねぇよ」 「うわぁ、変態チックぅ、でも見てぇ」 「よせ……」  男が繰り出しナイフを手にし、光樹の両手を拘束バンドごと引っ張った。立たせた光樹のワンピースの前ボタンを、そのナイフで下まで全部弾いた。 「男にしとくにゃ勿体無い美人だと思ったら、あんた、PARADAのモデルの霧生光樹だろ。こいつぁいいや……この傷の落とし前だ、楽しませろや」 「てめぇみたいな下衆、願い下げだね」  肌を晒された光樹は頬を叩かれ、ベッドのように並べられているボックス席へと突き飛ばされた。 「いつまで強気でいられるかねぇ、お()さん」 「光樹!! 」  引き攣った顔で震え出した光樹を庇うように、多岐絵が身を躍らせた。 「ババァに用はねぇよ」 「よせ! 」  妊婦に化けた男・海斗に多岐絵は突き飛ばされた。光樹が絶叫するが、男たち5人に囲まれ、その体は硬直してしまっている。 「あれ、震えてんの? カーワイイ」  転がりながら、多岐絵はかつて、光樹が中学時代のある経験が元でトラウマを抱えているという話を思い出していた。それが久紀との間を繋げた出来事であったということも。あの勇敢な光樹が、あれほど怯えた表情を見せるとしたら、理由は1つしか思い当たらない。  レイプの記憶……。  そんな目に合わせてたまるかと、多岐絵は歯を食いしばって体を起こそうともがくが、後ろ手に拘束されていて体が上手く動かない。 「寄るな……」  ワンピースが肩から滑り落ちて腕で絡まるように引っかかり、精悍ながら細身の白い裸体にボクサーショーツだけの姿になって後退る光樹に、嶺二が額から流れる血をペロリと舐め、欲情した淀んだ目で迫った。 「焦らすんじゃねぇよ……男をヤるのは初めてだが、あんたは美味そうだ」 「やめろ! 」  叫ぶ光樹を即席のベッドに転がし、大男が下着に手をかけた。他の連中が下卑た笑い声を上げながら百合香のスマホを抱えて撮影を始める……。  額で体を支えながら多岐絵は必死に起き上がって男達に体当たりをした。 「やめなさい!! 」 「うるっせぇんだよ、ババァ! 」  海斗がナイフを振りかざし、多岐絵に振り下ろそうとした。思わず目をつぶった多岐絵の体を庇うように、光樹が体を躍らせた。 「この人に、指一本……触れるな……」 「な、何だよ、こいつ」  海斗が血染めのナイフを床に投げ捨て、壮絶な美貌に怒りを漲らせて睨みつけてくる光樹の気迫に、思わず後退った。 「嘘でしょ……み、光樹」  ずるりと仰向けに床に崩れ落ちた光樹の右脇腹が、見る間に血に染まっていく。多岐絵は唇を震わせたまま、光樹の側にへたり込んでしまった。  イヤァァ! と多岐絵が絶叫した途端、窓が割られ、SATの隊員が3名フル装備で飛び込んできた。彼らを吊るしていた3本のロープが、窓の外でゆらゆらと揺れている。エレベーターがある店の入り口からは、防弾チョッキ姿で銃を構える久紀と逸彦が飛び込んできた。 「ケーサツ!! 両手は頭の上ぇ!! 」 「動くと遠慮なくブッ放すぞコルァ!! 」  犯人グループはナイフや銃を振り回す間も無くあっという間に制圧された。  久紀に斬りかかった嶺二も、逸彦に飛びかかった海斗も、二人の怒りの一撃でぐうの音も出せぬうちに床に転がった。 「多岐絵、多岐絵ッ! 」  脇腹を血で染める光樹に覆いかぶさるようにして守っていた多岐絵を、逸彦が起こして抱きしめた。拘束バンドを海斗のナイフで断つと、多岐絵は逸彦に泣きつくどころか、自由になった両手で逸彦の胸ぐらを掴み、悲鳴混じりに訴えた。 「逸ちゃん、光樹が、光樹を助けて!! 」 「救急隊!! 人質一名ナイフで腹部に刺傷!! 」  そして逸彦の絶叫の後、今一人久紀とよく似た風貌の三揃えのスーツを着た人物が駆け込んできた。  SAT隊員が一斉にスーツの男の周りに集まり、確保された5人の顔を男に突き出すようにして報告をした。 「霧生警視正、全員確保しました。トイレ、厨房、その他このフロアは全てクリアです」 「有難う吉永君、佐橋君、村上君、心から感謝をする。下で待機している四谷署の桔梗原君に引き継いで、全員撤収してくれ」  ビシッと音が鳴る程に折り目正しく敬礼をし、警視正と呼ばれた人物の返礼後に礼を解くと、素早く犯人を連行していった。 「兄貴、光樹が刺された!! 」  久紀の絶叫に、警視正……霧生夏輝は弾かれたように弟の元に駆け寄り、素早くハンカチで傷口を強く押さえた。久紀はもどかし気に自分のネクタイを解き始めた。 「おい光樹、光樹! わかるか、俺だ、兄貴もいるぞ」  先に拘束バンドから両手を解放され、光樹が安堵したかのように微笑んだ。血の気が失せたその白い顔で、光樹は必死に百合香を指差した。 「あの子……助けてあげて……止血、してくれた……お願い」 「大丈夫だ、もう無事に保護した……おい、光樹、光樹ッ」  百合香も女性警察官によって拘束を解かれ、やがて無事に外へと抱え出されていった。 「光樹……兄貴、光樹が、光樹が! 」  気を失った光樹の腰に自分のネクタイを回して止血を試みる久紀の手が、震えて中々まともに縛れない。久紀は喚きながら必死に縛ろうとした。 「ああ、クソっ……」 「落ち着け久紀、大丈夫だ」 「兄貴」 「代われッ」  夏輝が久紀の隣に膝をつき、その狼狽える手を押しのけて、代わりにしっかりとその細い腰を縛った。 「救急隊はまだか!! 遅いっ、久紀、光樹を私の背中に」  スーツが血染めになるのも構わず、夏輝は久紀の手を借りて光樹を負ぶさった。 「逸彦くん、多岐絵さんは動かせるか」 「大丈夫です、俺が抱いて下ります」 「よし、行くぞ」  多岐絵は逸彦に抱え上げられ、光樹は夏輝の背中に負ぶわれて背を久紀に支えられ、廃店舗から夕闇の歌舞伎町の雑踏に、救出されていったのだった。      
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