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3.野上会
霧生久紀は、四谷署の生活安全課勤務から、組織犯罪対策課へと移動になった。10月には課長補佐としての移動であったが、年明けに突然課長が退職をしたこともあり、そのまま課長職にスライドするようにして収まっていた。配下には、逸彦が捜査一課長に捩じ込んだおかげで、盥回しにされて腐りそうになっていた警視副総監の御令息にしてキャリア組の深窓のお転婆姫こと桔梗原鸞が、薬物銃器犯罪対策係の係長として赴任していた。キャリアの警部なら、久紀と同格かそれ以上だが、鸞本人が現場を強く望んだこともあり、旧知でもある久紀の下に配置されたのであった。
昇進前まで、伝説の生活安全課女課長・尾道陽子の下で少年係として修行の身であった久紀は、本職? であるマル暴に返り咲き、のびのびとしていた。
今日も今日とて、ここのところ管内をざわつかせている野上会の幹部を的にした張り込みが予定されている。
数ヶ月前、若頭補佐の愛人にカチ込まれ、野上会は幹部を一斉に失って死に体と化していた。しかし難を逃れた会長と新たに会長秘書となった若手が凄腕で、あっという間に四谷界隈の小規模のヤクザを吸収し、同じく警察の手入れで弱体化していた六曜興業とも手を結んでしまった。
野上会は愛知県を本拠地とする広域指定暴力団・瀬上組の関東の分家筆頭であり、六曜興業は、同じく大阪を本拠地とする広域指定暴力団・六曜会の直参。こんな風にまるで個性の違う直系同士が手を取り合うのは珍しいことである。しかし、久紀の指揮下による潜入捜査で新宿二丁目での薬物の販路は絶たれ、桔梗原鸞の大金星で上海マフィアのボスが逮捕されたことにより、武器の密輸入の筋道も絶たれた。両家ともヤクザとしては兵糧攻めにされている状態であり、背に腹は……の覚悟で結んだ手であった。
その野上会だが、会長の私邸での動きが、ここ数日慌ただしさを増していた。薬物銃器対策係である桔梗原鸞以下捜査員の調べで、相当数の武器が六曜興業から野上会に流れていることも掴んでいた。これは大規模な戦争の前触れかと、日々動きの観察に余念がない久紀ら組織犯罪対策課の面々は、中堅の幹部が二丁目のクラブに飲みに入ってくるところを捕らえて吐かせることにした。
鸞が妖艶なピアニストに化けて潜入し、ドレス姿でたおやかにピアノを弾きながら、ターゲットが舎弟二人とボックス席に座ったことをブローチに仕込んだマイク越しに合図した。真珠を象ったイヤリングが、骨伝導タイプのイヤホンになっている。
「鸞、焦るなよ。ボックス席に瞳ちゃんと由美ちゃんを座らせるから、奴が何か吐くまで泳がせろ。春田、夏川、秋草、耳だけをダンボにしてガン見するな。奴は銃を持っている可能性もある、絶対余計な動きはするな」
同じくボーイ役として潜入している課員達に、仲通りから一方通行に折れたところに停めてあるワンボックスカーの中から久紀が指示を飛ばした。
元音大志望だっただけに、鸞の演奏はこなれている。入ってきたターゲットは、とんでもない美女ピアニストに目を留め、ママを呼んだ。
「あの子、新入り? 」
「あらタケちゃん、お目が高いわね」
クラブのママには久紀が因果を含めておいた。あの超2枚目の年上キラーに口説かれて、この街で否やを言える夜の女はいない。というか、皆、ニューハーフなのだが。
「掃き溜めに鶴でしょ。面接に来て一発採用よ。呼ぶ? 」
マイク越しの会話に、思わず久紀が舌打ちをした。ママめ、余計なことを。
だが、鸞は曲を弾き終えると、しずしずとボックス席に歩み寄り、天使の微笑みで挨拶をした。
「ランです、初めまして」
歌うようなソプラノでそう挨拶すると、竹山と言う名のその幹部の隣にすいっと座った。若い舎弟達は、その壮絶な美貌に口をあんぐりと開けたまま見惚れていた。
「何だおまえ、本物の女の子か? 随分と色っぽいな」
「あら嬉しい、でもここ、二丁目よ? それはヒ・ミ・ツ」
竹山の唇に指を当てて呟くと、竹山はだらしなく相好を崩した。
「ねぇ竹山さぁん、ここんとこ怖い人たちがウロウロしててね、昨日なんか肩がぶつかったのに、すごく睨まれちゃったの、ラン、怖くてぇぇ」
竹山の腕にしがみつくと、竹山はドレスのスリットから手を忍ばせて鸞の太ももを撫でた。
「だーめ、お触り禁止」
「ケチなこと言うなよ。そのチンピラ、多分ウチの若ぇ奴らだ。俺からヤキ入れといてやるからヨォ」
「ホントぉ? だといいけど。っていうか、なんで昼間から怖い人たちがいきり立って歩いてるの? 竹山さんみたいなハンサムならまだいいのに」
「お、俺が、ハンサム? 」
すると大胆にも鸞は竹山の膝の上に向き合うようにして跨った。捲し上げたとドレスから華奢な太腿が露わになる。思わずボーイ役の課員から「か、か、係長〜っ! 」と悲鳴に似た掠れ声が漏れる。
「ホント渋くて素敵……ねぇ、何であんな強面の人たちが闊歩してるの? 」
すると竹山は、鸞の耳元に口を寄せた。
「ここだけの話だがよ。会長の孫娘がもう一週間近くも連絡がつかねぇんだよ。お嬢はよ、こんな商売と違って真面目でよ、大学の寮で一人暮らししながら医者目指してんだよ。ところが、毎年忘れた事が無え会長の誕生日にもお見えにならなくてな。敵対勢力に拉致でもされたかと、それで若ぇ衆が探し回ってるってわけよ」
「そうなの……心配ね。幾つの子? 女子大生だと、20歳くらい? 」
「何で? 」
訝しむ竹山が、ふと眉根を寄せた。すかさず鸞が渾身の微笑みを見せると、竹山はすぐにだらしなく鼻の下を伸ばした。
「私ね、ピアノの仕事で医師会のパーティとかで弾くこともあるの。だから気にかけとくわ」
鼻先を指でツンツンと触れられ、竹山はつつーっと鼻血を垂らしていた。いや、ボーイ役の刑事たちも、鼻血を垂らして鸞に魅入っていた。
「んもぉ、優しいのぁ、ランランちゃんはぁ。お嬢の名は、加藤百合香。二年生で、もうすぐ20歳だ」
「加藤百合香ちゃんね、了解」
鸞は竹山の膝の上から降りてピアノの前に戻った。その手には、竹山の上着の中から抜き取った銃が握られている。
「おいおい、マジかよ」
「はい、銃刀法違反で現行犯逮捕。でも冗談抜きで、その女の子のことは、こっちでも必ず探し出すから」
「あ、兄貴ぃぃ」
逃げ出そうと暴れ出した舎弟二人も、鼻血を振りまきながら飛びかかってきた四谷署名物のマル暴刑事達にまんまと押さえ込まれていた。
「四谷署のお色気爆弾って、アンタのことか……納得だ」
大人しく鸞に腕を差し出したと思わせて、竹山は蹴りを見舞い、鸞が仰け反って躱した隙にアイスピックを手にした。振り回す軌道を冷静に見極めた鸞は、竹山が椅子に蹴躓いた瞬間にアイスピックを持つ手を掴み、「オルァッ」と野太い掛け声と共に大外刈りに床に叩きつけた。
「グヘェ……」
「やぁだ、お里が知れるわねぇ。暴れると公務執行妨害のオプションつくからお利口にして……瞳姉さん、由美姉さん、お願いしまーす」
鮮やかな一本に、竹山は腰を抑えて呻き声をあげ、瞳と由美と呼ばれた女性警官にまんまと取り押さえられたのだった。
「竹山武二、立ちなさい」
ガッシリと鍛え抜かれた筋肉にドレスを纏った、四谷署きっての美人女性警官コンビに両脇を抱えられた竹山が、名残惜しそうな顔で鸞を振り向いた。
鸞はにっこりと微笑んで手を振って、バイバイとばかりに見送った。
「チッ、ガサツなおカマが触んじゃねーよ。ランランに変われよ、チェンジだチェンジ!! 」
後ろ手に手錠をかけられながら暴れる竹山に、両脇から瞳ちゃんと由美ちゃんが同時に小突いた。
「黙れ、こちとら純正の女だっつーの!! 」
ランラーン、との竹山の哀愁漂う絶叫がエレベーターホールに木霊したことは言うまでもない……。
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