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5.孫娘
野上会の会長宅にはひっきりなしに若いチンピラが出入りを繰り返している。流石に近所の住人は怖がって玄関の戸を閉ざしていた。
「どうします、課長」
「銃刀法でチンピラパクったところで仕方ねぇなぁ……行くか」
「え、行くって……」
屋敷の周りは、霧生組対課長以下、四谷署の面々が覆面パトカーをズラリと並べて固めていた。住人を巻き込むわけにはいかないからだ。
久紀は助手席にいた鸞を伴い、丸腰でドアチャイムを押した。
「おおい、オレオレ」
オレオレ詐欺か、と鸞が呆れていると、重厚な鉄の門扉が自動で開いた。カメラで人別を確認しているのだろう。
堂々と押し通る久紀を、会長秘書の和歌山惣一という男が出迎えた。これまでの硬派な野上会の幹部イメージとは真逆な、高身長のインテリに服を着せたかのような、涼しげな立ち姿の男である。まだ40に届くかどうかという若さでもあり、立ち居振る舞いにも肚の据わった落ち着きがある。出入りをするチンピラの中身の薄さとはまるで違う圧力を持った男であった。
「和歌山さん、だね。会長秘書だっけ。有能そうだ」
「お初にお目にかかります。そちらのお美しい方は、桔梗原さんですね」
美しい方、と言われ、鸞が思わず照れ笑いをした。ヤクザの巣窟に乗り込んでお世辞に照れる刑事もいないだろう。
「あら有名人ね、ランラン」
リサーチされてるんだぞ、と久紀が言葉と裏腹の渋い表情で肘を突いた。
「オヤジと話をさせろ」
「そのつもりで、会長が奥でお待ちです」
演台を上がるとすぐに、両脇に溜まりのような大部屋があり、チンピラ共が揃って久紀らを睨みつけていた。涼しい顔で通り過ぎ、庭に面した回廊へと回り込むと、見事な枯山水を模した庭をぐるりと取り囲むように和風の屋敷が続き、更に本棟から渡り廊下で砂の川を渡った先に、豪奢な離れがあった。
「こちらです」
和歌山は落ち着いた声で襖の向こうに声をかけ、その狩野探幽もかくやとばかりの牡丹が描かれた襖を開けた。
「どうも」
久紀は鸞の腰を引き寄せて先に中へと誘った。後ろに兵隊が隠れているともしれないからだ。
「霧生さん、あんたはいつも2枚目だねぇ」
白髪に和服姿の好々爺然とした老人が、革張りの大きなソファにどっかりと腰を下ろしていた。勧められるまでもなく、久紀は鸞を促してその対にあるやはり巨大なソファに腰を下ろした。
「無駄は省く。今、ウチでも百合香ちゃんを探してるよ、会長」
「ほう、こんなヤクザの孫をかね」
「真面目な子なんだってね。加藤と名乗ってるってことは、縁を切った娘さんの子供なんだろ。よく出入りしていたのか」
「縁は切ったが、儂のことは気にかけてくれてな。誕生日や父の日には、あの子にプレゼントを持たせてここに寄越してくれる。とうの昔に、娘のこともヘボ婿のことも、儂は許しているんだよ。だが、野上の名は孫を幸せにはできん。六曜会などという武器商人のような半端モンとも手を組まねばならなかった今は、尚更のこと、加藤のままで良いのだ」
「可愛いんだね、孫娘は」
「そうさ。だから、あの子に危害を加える奴は、断じて許さん」
鸞が尋ねるようにして久紀の顔を覗き込んだ。黙っていろと目で伝え、久紀は先を促した。
「身内に窮鼠がいるのか、思い当たるんだな」
「お恥ずかしい話だが、最近の半グレや半グレにもなれねぇ半端モンは、ヤクザにも手綱が捌ききれねぇときてる。ヤクザにはまだ、確固たる上下ってのがあるが、あいつらにそんなものは無ぇ。末端には会費が収められずに妙な弾け方する奴もいてな。そいつらが、金で釣って半グレ共を使うんだよ」
「六曜会との盃事が面白くない連中、てことは」
「言ったろう。霧生さんには釈迦に説法だが、この世界じゃ親の言うことは絶対だ。逆らえば仕置きが待っている。そうなりゃあぶれて他の狼共に食い散らかされて死ぬしか無ぇ。それにな、真っ当な極道なら、極道の首を狙う。間違っても小娘のタマなんざ取りゃしねぇ」
「説得力半端ないね、アンタが言うと」
二十代に初めて組対に配属され、ヤクザと渡り合うようになってから、隙を見せたら喉笛を掻き切られる緊張感を嫌という程味わっている。隙も、甘い顔も、決して見せてはならない相手なのだ。無用な一言も、命取りになる。
「これは俺の推測だが……六曜の身内が、上納金が工面できずに頭を抱えている野上会の下っ端に、シャブを手土産に幹部に引き上げるとでも、誘いをかけたんじゃないかね。ところが肝心のシャブが消えた……百合香ちゃんは言わばとばっちりだ。目星、ついてんだろ」
久紀が見つめる相手は、微塵も瞳が揺れなかった。漆黒の残忍さを孕む鈍い光を放ち、じっと久紀を見据えている。
「だったらどうするね。極道の落とし前は極道のやり方でしかつけられねぇ。手打ちを台無しにしたなら、鉛玉で躾けてやるしかあるめぇよ」
戦争も辞さないどころか、身内の粛清も厭わない……野上耕造は暗にそう告白していた。
「会長、無闇に血を流すな。百合香ちゃんが帰ってきた時、綺麗な手で抱きしめてやれよ。今、別件の線からもホシを追っている。百合香ちゃんの行方も必死で探している。だから、もう少し待ってくれ」
ふっと、野上が好々爺のように顔を綻ばせた。
「霧生の旦那……ヤクザの上前をはねる刑事ばかりだと思っていたが、どうしてどうして、あんたなら今日からでも若頭でいけるねぇ」
「会長」
「……実はな、まだからくりの絵図全体が判明しているわけじゃねぇ。だが、下の者には、俺からよく言って聞かせよう」
「流石に会長だ、話ができてよかった」
「ただし、モタモタしていたら、ウチの活きのいい若ぇ衆が黙っちゃいませんよ。やらかした奴らの死体が、靖国通りの歩道橋にぶら下がると思え」
「面白い。そうなりゃ、こっちも本気でアンタを潰すだけだ」
久紀と会長が互いに身を乗り出すようにして睨み合った。どちらも一歩も引かない、目を逸らさない。鸞がたまらず咳払いをすると、やっと会長が柔和に微笑んだ。
「ヤクザだねぇ、だんな」
「おまわりさんだってば」
「そちらの美しいお嬢さんには、今度素敵なドレスでもプレゼントさせてもらおう」
先日、鸞が幹部を一人ハニートラップで逮捕したことを、やんわりと揶揄しているのだが、鸞は素知らぬフリでニッコリと微笑んだ。
「だから、おまわりさんですってば」
久紀の言葉をそのまま繰り返し、まるで和風旅館にでも泊まりに来たような楽しそうな笑顔で立ち上がった。
「鸞、行くぞ」
鸞を先に出した久紀が、襖を閉める前に振り向いた。
「男にしちゃ随分と色っぽい子だな。竹山がハマるわけだ」
「あれでかなりのジャジャ馬でお転婆なお姫様でね」
「お互い、下の手綱捌きにゃ苦労するな」
「違いねぇや……会長、無茶はするなよ」
「そんな若くはないわい」
「愛人3人囲ってて、よく言うよ」
「7人だ」
目を剥いたまま、久紀は襖を閉めた。
「バリバリ元気なジジイだな」
玄関へと案内する和歌山の背中で、久紀は苦笑しながら呟いたのだった。
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