6.百合香

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6.百合香

 成城南署では、東條医科歯科大学の学生寮で起こったことに関してはまるでノーマークであった。それもその筈で、加藤百合香のスマホから友人宛に、旅行に行くとの連絡が入っていたからだ。寮では通常、長期間の外泊に関しては届け出が必要なのだが、百合香は災害現場などのボランティアに出向くことも多かったらしく、あまり目くじらをたてるようなことはなかったと言うのだ。これだけ山田の事件がニュースに流れているのに、気にとめる者は誰もいなかったのかと、逸彦は世田谷署の本部でも、寮の事務室でも、「馬鹿野郎! 」と叫んでいたのであった。    急遽、百合香の部屋に鑑識を入れ、入念に中を改めた。稲田や菅八にも合流してもらい、応援として海老沢がいる7係にも臨場を要請した。どうも事件の絶対数が少ない成城南署の連中は腰も重いが動きも鈍い。暴れそうになる前に慣れた連中を呼び寄せたかったのである。 「ボストンバッグにスーツケース、どちらもありますね。財布、ケータイの類は見当たらない、か。山田が遭遇したキャバ女の人着は」 「今、稲田が監視カメラ当たってますが……こんなことってあるんですかね。1週間も出入りがなければ、普通誰かが心配して通報なりするでしょう」 「都会のイヤなところだよね」  無関心。いや、関わることを極度に恐れるかのような今の風潮。それか、ヤクザの孫娘という百合香の背景がどこからか伝わって、尚更関わることを恐れたか……どちらにしても、ろくでもない。  3段の横長のチェストの上には、両親との写真が可愛い写真立てに入って並んでいる。愛されて育った娘特有の、朗らかで屈託のない真っ直ぐな笑顔である。パイプハンガーにかかっている服も、地味なものばかりで、山田が証言したようなキャバ嬢を連想させるものは何もない。むしろ、ヤクザの大親分が祖父で、父が開業医なら、もっといいものを身につけていても良いはずだ。サファイアのブローチはともかく、この量販店の量販シリーズのオーソドックスな服は、ちょっと百合香の背景とマッチしない。 「この近くに、貸し倉庫ってどのくらいある? 」  するとタプレットを手放さずに捜査していた海老沢が、すぐに答えた。 「徒歩圏なら三軒あります」 「じゃあさ、エビはその三軒、南署の刑事連れて回ってもらえる? 」 「承知しました」  逸彦は玄関のそばまで下がり、改めてその綺麗に片付いている部屋を眺めた。真面目に勉強し、地道で確かな生活を送っていたはずだ。冷蔵庫の中にアルコールの類1つなく、すっかり傷んでしまっている野菜が入っており、自炊の跡もある。バイトもし、親に頼らず、しっかり地に足をつけて暮らしていたのだろう。  逸彦は百合香の両隣の学生に話を聞くべく、先に南側の角部屋の住人を訪ねた。平日の昼間だというのに、三年生だという女子学生が在宅していた。  いかにも寝起き、といったジャージの上下にスッピン状態で、メガネを掛けたまま顔を出した学生の向こうには、雑然と散らかった部屋が見えた。百合香の部屋と接する壁際に、1人が座れるほどのスペースが空いていた。 「百合香のこと? 」 「何か、気付いたことあるかな」  ジャージには、消えかけた黒字で渡辺美佐と書かれていた。美佐は、しげしげと逸彦の全身を見つめ、訝しむように眉を寄せた。 「こんなイケメンが、本当に刑事? スカウトとか、騙す人? 」  逸彦は溜息とともに、もう一度手帳を開いて見せた。 「ほら、写真、一緒でしょ」 「本当だ……おじさん、格好良すぎでしょ」  お、おじさん……落とされたんだか上げられたんだか解らないまま、逸彦は気を取り直して百合香のことを聞いた。 「あのさ、反対側の隣、本庄エミっていうだけど、手癖悪いんだよ。ウチの大学、医学部の他に看護学部もあって、ウチとエミは看護学部なの。医学部と違って、看護は遊び人とか貧乏人も多くてさ。ま、医学部ったって、ウチは三流だけどねぇ」  ゲラゲラと笑うだけ笑い、美佐は逸彦に顔を寄せた。 「百合香ね、エミにアクセとか結構盗られてるのよ。ドレスとかワンピとかも、貸したら最後、死んでも返してくれないんだって。エミはエミでさ、百合香みたいな医者の娘が、こんな寮にいるのが気に食わないらしくてさ」 「女子寮って、みんな仲がいいのかと思ってた」 「んな訳ないじゃん。でも、百合香は本当にいい子。真面目だし、災害現場にもすっ飛んでいくしね」 「1週間前くらい、何か物音聞いたりしてる? 」 「ああ……多分、エミが男連れ込んでHしてたんじゃないかなぁ。百合香、旅行に行ってるんでしょ? 寮長に百合香からのメール見せたの私だし、そん時にエミに話聞かれてた」 「ほぅ……」 「自分の部屋は汚いし、ホテル行く金はないしで、百合香が家を空けるとよく黙って使ってたよ。その度に百合香はシーツ洗ったり部屋中大掃除してる。ここ壁薄いから、声ダダ漏れ……」  本庄エミ、か。 「ありがとう。また話聞くことがあると思うけど、よろしく」 「刑事さんなら大歓迎」  はいはい、とばかりにドアを閉じ、逸彦はそのまま北隣の本庄エミの部屋を訪れた。ドアチャイムを押すが、応答はない。  再び先ほどの美佐の部屋を訪れ、本庄エミが写っている写真を提供してもらった。すぐさまスマホで撮影し、本部に送った。 「管理官、その写真、山田にぶつけてみてください」  返答を聞く間も無く逸彦は階下の事務室に走り、稲田の進捗状況を訪ねた。 「1週間前に、百合香が自分で買い物に行く姿が映っています。軽装ですね、泊まりには見えない」 「その前後に、部外者が入り込んだりしてない? 」 「ああ、百合香が外出した直後に宅配業者が……ん? 」  寮の責任者を椅子から追い立てて、稲田がパソコンの前に座った。 「この業者、10分ほどですぐに出て行ってますが、夜の映像にも確か…あった、8時4分です。出て行ったのは9時2分ですね」 「背格好は同一人物で間違いないね」 「はい。一応、鑑識に歩行姿態識別でウラ取り頼んでおきます」 「滞在58分……へぇん、結構淡白なんだな」  稲田が眉根を寄せて、真面目に考え込んだ。 「すみません、何の話ですか、係長」 「やぁねぇ、分かってるくせにぃ」  その58分の間に、エミはこの男とも山田とも交わっていることになる。単純計算で、1人当たり出入り時間を除けば20分ちょっとか。 「……あ」  結婚15年選手の稲田が、パッと顔を赤らめた。レス? などとうっかり聞いては何とかハラだと言われそうだと、逸彦は口を閉じた。 「すいません、ここんとこご無沙汰なんで」 「聞いてない、聞いてない」  事務室には各戸の鍵が保管されている。逸彦は迷わず本庄エミの鍵を手に事務室から駆け出した。 「係長、令状(フダ)もないのにまずいですよ」 「緊急措置だ。中で倒れていたりしたら、大変だろ」 「ああ、中で倒れていたりしたら、ですね」 「そう、倒れていたりしたら」  お仕着せ芝居を繰り返している間に解錠し、逸彦は中に上がり込もうとした。明かりをつけた途端、目の前にゴミの山が迫っていたのである。 「凄いなこりゃ……」  これじゃぁ男は呼べないな……というか、寮に男連れ込んだらアウトだろ、と独りごちながら、逸彦はシャワールームなども覗いた。 「どうやって生活してたんですかね……」 「さぁな」  と、背後で玄関のドアノブを捻る音がした。逸彦はシャワールームに、稲田は玄関ドアの陰に身を潜めた。  ドアが開き、茶髪に露出度の高い安物のワンピースを着た女が、ガムをくちゃくちゃさせながら入ってきた。  中敷がボロボロになっているサンダルを脱ぎ捨てたところで、稲田が玄関ドアを塞ぐように立ち、逸彦が姿を見せた。ギャァァと女が悲鳴をあげたところで、二人が手帳を開示した。 「はいはい、おじさん達、おまわりさんだから。本庄エミさんだね」  エミはがくがくと何度も頷いた。 「おじさん達が何で君のところに来たか、わかっているね」  すっかり自分のことをおじさん呼ばわりすることに慣れてしまった逸彦を、エミがポーッと頬を赤らめるようにして見上げた。 「すげぇイケメン……」 「どうも」 「おじさんならタダでヤらしてあげる」 「あ、おじさん新婚だから。ましてやお友達の物盗む子はイヤだなぁ……」  エミの顔が見る間に青ざめていく。 「だって……ユウセイがさ、隣でヤろうって言うから……一度百合香の家で飲んだ時、鍵を間違えて持って帰ってきて……で」 「合鍵作った」 「うん……で、時々服とか借りて」 「でも返さなくて」 「うん……で、ユウセイにその事話して、ヤリ部屋に使ってた」 「で、1週間前、百合香の部屋で何があったの」  エミは、もじもじと安物のバッグの紐を指でいじりながら、ボソボソと答え始めた。 「ユウセイが、百合香がすごいヤクザの愛人だって言うから、ヤるついでにちょっと金目のものをって……そしたら、変なジジイが忍び込んできて、部屋にユウセイが隠れてるのバレちゃ大変だから、しょうがないから百合香のフリしてヤらせて……でも、肝心な宝石、あのクソジジイに持って行かれて……」  稲田も逸彦も、正に絶句、であった。 「男は、いつも配送業者に化けて来るの? 」 「うん。その方が怪しまれないからって」 「その男が、百合香のことを知ってたユウセイって男で間違いない? 」 「そう。高校ん時は新宿あたりの半グレやってて、それでホストになったって……何だっけ、何とか会とかいうヤクザの豪邸で、白髪のジジイと一緒にいるところを見たことがあるって自慢してた。上層部の家に行けるって、偉いんだって。で、百合香はジジイの愛人に違いないって……」 「男のフルネームは」 「勇政、佐久間(さくま)勇政(ゆうせい)」  稲田が玄関から飛び出して行った。 「逮捕される? 」 「仕方ないね。署でもっと話を聞かせてもらうからね。俺よりもっと怖ーいおじさん達が」  エミの手を引き、逸彦は女性刑事に身柄を任せた。  何ということだ。勘違い、すれ違い……そんなどうしようもない偶然の重なりで、人が一人失踪するとでもいうのか。 「管理官、この辺り一帯、ローラーかけてください。加藤百合香は拉致されているかもしれない。1週間ともなれば、そろそろ危ない」 「OK。それと、山田が百合香だと思い込んでいたのは本庄エミで間違いない、写真見せて確認したわ。今、本物の百合香を探しに来たとかいうヤクザのモンタージュを作らせている。深海は一旦特捜本部に戻って、指揮系統を立て直して」 「了解」  ああ、今日は特捜で泊まることになるか……逸彦はネクタイを緩めて寮を後にした。タクシーを拾ったところで7係の海老沢から連絡が入り、百合香が借りていた貸し倉庫が特定できた事が知らされた。世田谷署の特捜本部に戻る前に、逸彦は貸倉庫へと向かうことにした。
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