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真咲くんと私
かすかな雨音で目を覚ました。
ラベンダー色のカーテンの隙間からは、鈍い光が差し込んでいる。
左肩に熱を感じてそっとそちらを見ると、規則正しい寝息をたてている男の子。
「小さい彼氏」と妹が呼んでいた、私の甥、真咲くん7歳。
彼を起こさないように、そっとベッドを抜け出す。掛布団を整えて、飛び出してしまっている足をしまう。
それから仕事机の上に放り出してあったカーディガンを羽織って、音をたてないように部屋を出た。
キッチンの奥で冷蔵庫の中を確認しながら、朝ごはんを何にしようか考える。
昨日のうちに決めておけば時短になるけど、そこまできっちりしなくてもいいような気もして、結局いつもそうしないまま寝てしまう。
背中に冷気を感じて、ブルッと体が震えた。
11月、日中はそうでもないけれど、朝晩はけっこう冷えるようになってきた。
カーディガンの襟元をぎゅっと握り合わせて、先にエアコンを入れる。
真咲くんが起きる頃には部屋が暖まっているはずだ。
冷蔵庫の前に戻り、卵とハムとサラダ用の野菜を取り出した。ハムエッグとサラダ、飲み物はホットココアにしようと決めて、洗面所に向かう。
「おれ、けいちゃんのとこにきてハムエッグはじめてたべたんだよ」
もぐもぐと口を動かしながら真咲くんが言う。
「ほんとう?舞ちゃんは作らなかった?」
「うん。お母さんはあさはパンだけのことがおおかった。」
「そっか」
真咲くんのゆるくパーマした髪を見ながら、ちょっと寝癖っぽい部分を直したほうがいいかな、と考える。いや、もともとのパーマに見えないこともない、大丈夫そう。
「ハムエッグ、好きじゃない?」
「ううん、すき。」
おいしいよ、と言ってくれる笑顔にきゅんとしてしまう。
そうか、これが小さい彼氏ってやつだな。
真咲くんと暮らすようになって10か月、誰かと一緒に暮らすことの心地よさを実感する日々だ。
「ねぇ」
「ん?」
「マシュマロもういっこもらってもいい?」
「もちろん」
ホットココアのカップに、マシュマロを落とす。
嬉しそうにカップに口をつける姿を見ながら、そういえばと立ち上がり、レースのカーテンを開けて外を見た。
「今日は1日雨だって。真咲くん」
「やったぁ」
「え?」
「このまえ、けいちゃんがかってくれたあたらしいかさがさせるよ」
そういえば、梅雨の終わりに真咲くん用の新しい傘を買ったのを思い出した。
前のが色あせてきているのが気になって、でもたぶん舞ちゃんが買ってくれた傘だからと、なかなか言えなかった私の心を読んだように、真咲くんが言ったのだ。
傘が小さくなって、学校に着くまでにけっこう濡れちゃうんだよね、と。
古くなった傘は結局捨ててしまったのだけれど、ゴミ袋に入れる前に「今までありがとう」と言った真咲くんには驚いたっけ。
それは、私と舞ちゃんの子供の頃の習慣だった。
古くなって何かを捨てる時、ありがとうと言ってね、と教えてくれたのは母だった。
舞ちゃんは、同じことを息子に教えていたのだ。
「新しい傘デビューだね」
そう言うと、真咲くんは頷いた。
「ごちそうさまでした」
「置いといてね。私の分も一緒に洗うから」
シンクへ食器を下げながら、真咲くんは「はーい」と返事をして、歯磨きに行く。
間もなく戻ってきて私の隣に座り、朝のテレビ番組を見始めた。
ご近所の子どもたちとの集合時間までは、そうしていることが多い。
最初の頃は、忘れ物や持ち物の不備がないかと心配したけれど、真咲くんに限ってそんなことはないとこの半年でよくわかった。
とにかく想像の上をいくできた子供なのだ。
失礼ながら、あの舞ちゃんの子とは思えないほど、だ。
「今日、買い出しに行くよ。お夕食何がいい?」
「う~ん…きゅうしょくがパンの日だから、ごはんがいいな」
たしかに、朝も昼もパンならご飯のほうがいいよね…
「じゃぁ生姜焼きにしようかな?」
「いいよ。おれ、けいちゃんのしょうがやきだいすき」
「決まりだね」
なんだか新婚さんみたいじゃない?
心のなかでそんな声がして、苦笑いしそうになるのを飲み込んだ。
自分には縁がないと思っていた新婚生活。
相手は旦那様じゃなくて、亡き妹の残した甥だけれど、三十路も半ば過ぎの枯れた女の1人生活に思いもよらない潤いをくれた。1人の時よりも、今のほうが充実しているのは間違いなかった。
「いってきまーす」
「行ってらっしゃい」
真咲くんを見送って、食器を片付ける。
身支度を整えて軽くメイクをすると、仕事スイッチが入った。
「やりますか」
カーテンの向こうからは、止むことのない雨の音が聞こえていた。
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