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カフェの人と私
「俺、あなたを何度も見てるんです。店で」
その男性はそう言って、困ったような笑顔を作った。
「店っていうのは…」
スーパーの方をちらっと見たら、
「あ、そっちじゃなくて。父と一緒に経営しているカフェの方です」
「カフェ…」
「はい」
「…あ、もしかして…」
最近見つけたカフェに、何回か行った。
カプチーノとエスプレッソ、どちらもおいしくて、落ち着いた内装やテラス席があるのも私の好みで。
仕事を持ち込んで少し長居したこともある。
「…カフェRですか?」
はい、と頷いた男性が「いつもありがとうございます」と続けた。
笑顔が若い。
20代と思ったけれど10代にも見えるくらい、爽やかな笑顔の人だ。
「カプチーノがお好きですよね」
「あ、ええ…」
「エスプレッソも何度か」
「は、はい」
よく覚えてるな…
と、思ったのが顔に出ていたのかもしれない。
「あ、すみません。こんなの気持ち悪いですよね」
と、急に真顔になって謝られた。
「い、いいえ、大丈夫です。優秀な方ですね、お客様の好みとか、覚えてらっしゃって」
あのカフェは、大手のチェーン店のようではないけれど、個人店にしては大きいと思う。
それでも、いつ行っても席は半分以上埋まっているのだ。
あの客数で顔や好みのオーダーを記憶しているのだとしたら相当すごい。
「それは仕事なので…でも、こんなふうに言い当てられたら嫌じゃないですか?チェックされてるみたいですよね」
「どうでしょうね…私は別に嫌ではないですが…人によって、でしょうか」
「え、嫌じゃないですか?」
「え、嫌なのが普通ですか?」
「……」
「……」
なんの話をしているのかわからなくなってきたと思った時、ボトッとキャベツが落ちた。彼がずっと手に持ったまま、話が続いていたのだ。
「「あ」」
シートに転がるキャベツを目で追って、そもそもキャベツのやり取りをしていたんだったと思い出す。
「落としちゃった、すみません…」
受け取らないと言ったのに、私に持たせる気だったのだろうか。
「いえ、シートの上ですし大丈夫です…」
私も、受け取るつもりはないはずなのに、そんな返事をしてしまった。
「あ、じゃぁ俺はこれで」
キャベツを持っていた腕を引っ込めて彼が言う。
「また店に来てください。お待ちしています」
「はい…」
にこっと笑った彼が背中を向けて走っていくと、全開だった窓から細かい雨が吹き込んできた。
外へ視線を巡らせると、少し風が出てきている。
早めに来て正解だったかも…
「…!」
でもこれでは彼はかなり濡れてしまってたのでは?
そう思い、慌てて探したけれど、もう姿は見えなかった。
「足、速いな…」
最後まで悪いことをしてしまった。
でも見つけたところで貸せるようなタオルもない。また謝ったりして足止めしたら、その間にもさらに濡れてしまう。
「はぁ…」
ため息をついて、ハンドルを握る。
もう帰ろう。今度カフェRに行った時、声が掛けられそうならきちんと謝って、キャベツのお礼も伝えよう。
11月の冷たい雨で、風邪を引いたりしませんように。
そう願いながら、私は車を発進させた。
約束どおりの生姜焼きを、真咲くんはきれいに食べてくれた。
複雑な思いで切ったキャベツの千切りも、全部お腹の中に収めてくれた。
「おいしかった!」
「うん、良かった」
歯磨きしてねと言うと、はーいと返事して洗面所に向かう。そんなこと言わなくてもちゃんとできるのはわかっているけど、細かく声を掛けるのがすっかり習慣になってしまった。
1人の時は、1日じゅう声を出さないなんてこともあったのだから、すごい変化だ。
食器を洗っていると、歯磨きを済ませた真咲くんが隣に来て言った。
「おれ、おさらふくね」
「ありがとう真咲くん」
布巾を渡すと、慣れた手付きで食器を拭き上げる。重めのお皿も危なげない。もう見慣れてしまったけど、やっぱり普通じゃない気がする…小学2年生男子って、こんな感じだっけ?
お母さんのお手伝いもけっこうやってたから、と真咲くんは言う。こういう習慣だったんだろう、とは思う。でも、なんだか…
「きょう、がっこうでね、カイとサッカーしたんだ」
「うん」
カイくんは、真咲くんがよく一緒に遊んでいる友達だ。
「カイ、サッカークラブにはいるんだって」
「そうなんだ」
真咲くんも入りたいのかな…
「いっしょにやろうっていわれたけど、おれことわった」
え、と真咲くんの顔を見る。
てっきり、クラブに入りたいと言うのだと思ってしまった。
「真咲くん、どうして?」
まさかとは思うけれど、お金の心配とかしてる?
「カイくんと一緒ならきっと楽しいんじゃない?」
うん、と真咲くんは頷いて、
「でもおれ、サッカーするよりけいちゃんといっしょにいるほうがいいから」
と言った。
「私と?」
「うん。おれ、けいちゃんがいちばんすきだもん」
「そ、そうなんだ…」
え、ここで本気で照れるって、私おかしいかな。
というか、ほんとに真咲くんて7歳?
私、36歳なのに、なんでこんなに恥ずかしいんだろう…
コップを洗う手に力が入ってしまうのは、真咲くんの視線が顔の右半分に向けられているのがわかるから。
反応、うかがわれてる…?
「けいちゃん」
「は、はい…」
「きょうもいっしょにねてもいい?」
「うん、いいよ…」
「やったぁ」
真咲くんは、一人寝がすきじゃないらしい。真咲くんの部屋にベッドの用意もあるけれど、そこで寝たことはほとんどない。
「本の続き読もうか」
「うん!」
こういうところは7歳相当に見えて、ホッとしてしまった。
子供特有の真っ直ぐさについ照れてしまうけど、すきと言われたら、素直にお礼を言えばいいんだと思い直す。今度はちゃんとありがとうと言おう。
食器を片付けて、お湯を張るべく、私はバスルームに向かった。
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