カフェの人と私

1/1
前へ
/128ページ
次へ

カフェの人と私

「俺、あなたを何度も見てるんです。店で」 その男性はそう言って、困ったような笑顔を作った。 「店っていうのは…」 スーパーの方をちらっと見たら、 「あ、そっちじゃなくて。父と一緒に経営しているカフェの方です」 「カフェ…」 「はい」 「…あ、もしかして…」 最近見つけたカフェに、何回か行った。 カプチーノとエスプレッソ、どちらもおいしくて、落ち着いた内装やテラス席があるのも私の好みで。 仕事を持ち込んで少し長居したこともある。 「…カフェRですか?」 はい、と頷いた男性が「いつもありがとうございます」と続けた。 笑顔が若い。 20代と思ったけれど10代にも見えるくらい、爽やかな笑顔の人だ。 「カプチーノがお好きですよね」 「あ、ええ…」 「エスプレッソも何度か」 「は、はい」 よく覚えてるな… と、思ったのが顔に出ていたのかもしれない。 「あ、すみません。こんなの気持ち悪いですよね」 と、急に真顔になって謝られた。 「い、いいえ、大丈夫です。優秀な方ですね、お客様の好みとか、覚えてらっしゃって」 あのカフェは、大手のチェーン店のようではないけれど、個人店にしては大きいと思う。 それでも、いつ行っても席は半分以上埋まっているのだ。 あの客数で顔や好みのオーダーを記憶しているのだとしたら相当すごい。 「それは仕事なので…でも、こんなふうに言い当てられたら嫌じゃないですか?チェックされてるみたいですよね」 「どうでしょうね…私は別に嫌ではないですが…人によって、でしょうか」 「え、嫌じゃないですか?」 「え、嫌なのが普通ですか?」 「……」 「……」 なんの話をしているのかわからなくなってきたと思った時、ボトッとキャベツが落ちた。彼がずっと手に持ったまま、話が続いていたのだ。 「「あ」」 シートに転がるキャベツを目で追って、そもそもキャベツのやり取りをしていたんだったと思い出す。 「落としちゃった、すみません…」 受け取らないと言ったのに、私に持たせる気だったのだろうか。 「いえ、シートの上ですし大丈夫です…」 私も、受け取るつもりはないはずなのに、そんな返事をしてしまった。 「あ、じゃぁ俺はこれで」 キャベツを持っていた腕を引っ込めて彼が言う。 「また店に来てください。お待ちしています」 「はい…」 にこっと笑った彼が背中を向けて走っていくと、全開だった窓から細かい雨が吹き込んできた。 外へ視線を巡らせると、少し風が出てきている。 早めに来て正解だったかも… 「…!」 でもこれでは彼はかなり濡れてしまってたのでは? そう思い、慌てて探したけれど、もう姿は見えなかった。 「足、速いな…」 最後まで悪いことをしてしまった。 でも見つけたところで貸せるようなタオルもない。また謝ったりして足止めしたら、その間にもさらに濡れてしまう。 「はぁ…」 ため息をついて、ハンドルを握る。 もう帰ろう。今度カフェRに行った時、声が掛けられそうならきちんと謝って、キャベツのお礼も伝えよう。 11月の冷たい雨で、風邪を引いたりしませんように。 そう願いながら、私は車を発進させた。 約束どおりの生姜焼きを、真咲くんはきれいに食べてくれた。 複雑な思いで切ったキャベツの千切りも、全部お腹の中に収めてくれた。 「おいしかった!」 「うん、良かった」 歯磨きしてねと言うと、はーいと返事して洗面所に向かう。そんなこと言わなくてもちゃんとできるのはわかっているけど、細かく声を掛けるのがすっかり習慣になってしまった。 1人の時は、1日じゅう声を出さないなんてこともあったのだから、すごい変化だ。 食器を洗っていると、歯磨きを済ませた真咲くんが隣に来て言った。 「おれ、おさらふくね」 「ありがとう真咲くん」 布巾を渡すと、慣れた手付きで食器を拭き上げる。重めのお皿も危なげない。もう見慣れてしまったけど、やっぱり普通じゃない気がする…小学2年生男子って、こんな感じだっけ? お母さんのお手伝いもけっこうやってたから、と真咲くんは言う。こういう習慣だったんだろう、とは思う。でも、なんだか… 「きょう、がっこうでね、カイとサッカーしたんだ」 「うん」 カイくんは、真咲くんがよく一緒に遊んでいる友達だ。 「カイ、サッカークラブにはいるんだって」 「そうなんだ」 真咲くんも入りたいのかな… 「いっしょにやろうっていわれたけど、おれことわった」 え、と真咲くんの顔を見る。 てっきり、クラブに入りたいと言うのだと思ってしまった。 「真咲くん、どうして?」 まさかとは思うけれど、お金の心配とかしてる? 「カイくんと一緒ならきっと楽しいんじゃない?」 うん、と真咲くんは頷いて、 「でもおれ、サッカーするよりけいちゃんといっしょにいるほうがいいから」 と言った。 「私と?」 「うん。おれ、けいちゃんがいちばんすきだもん」 「そ、そうなんだ…」 え、ここで本気で照れるって、私おかしいかな。 というか、ほんとに真咲くんて7歳? 私、36歳なのに、なんでこんなに恥ずかしいんだろう… コップを洗う手に力が入ってしまうのは、真咲くんの視線が顔の右半分に向けられているのがわかるから。 反応、うかがわれてる…? 「けいちゃん」 「は、はい…」 「きょうもいっしょにねてもいい?」 「うん、いいよ…」 「やったぁ」 真咲くんは、一人寝がすきじゃないらしい。真咲くんの部屋にベッドの用意もあるけれど、そこで寝たことはほとんどない。 「本の続き読もうか」 「うん!」 こういうところは7歳相当に見えて、ホッとしてしまった。 子供特有の真っ直ぐさについ照れてしまうけど、すきと言われたら、素直にお礼を言えばいいんだと思い直す。今度はちゃんとありがとうと言おう。 食器を片付けて、お湯を張るべく、私はバスルームに向かった。
/128ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4725人が本棚に入れています
本棚に追加