月曜日、バスルーム、修くんと私

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月曜日、バスルーム、修くんと私

「捕まえておかないと、何処か行っちゃう気がするんだよ…」 修くんが、小さな声でそう言った。 なんでそんなふうに思うのかわからない。 でも、抱きしめてくれる時に切なそうな顔をする理由はわかった。 どこにも行かないのに。 ここにいたいのに。 でもそれを口にするのは難しくて。 うまく言えなくて、彼を見つめるだけになる。 「恵さん…」 胸にあてていた手が、また頬に戻ってくる。 そのまま耳へ移動して、イヤリングのついた耳朶をなぞる。 途端に、背中を這い上がる痺れのような感覚に震えた。 「ずっとこれつけてくれてるね」 「うん…」 クリスマスプレゼントのイヤリング。 私の好みにぴったりの、修くんからの贈り物。 会える日も会えない日も、こればかり手に取ってしまう自分がどれだけ彼を好きなのか考えては、泣きたくなるような日々を過ごした。 それがいいのか悪いのか、いくら考えてもわからなくて。でも、身につけていたら彼とつながっている気がして。 今日からはイヤリングに加えてペアの指輪もある。今頃になって、それが喜びとして実感を伴ってきた。 「修くん…」 「うん」 「指輪、ありがとう。嬉しかった…」 「うん、俺も」 嬉しい、と言って彼がやっと笑ってくれた。 大好きな笑顔に、つられて私も笑う。 「恵さん」 「うん」 「抱きたい」 「う……えっ」 い、今!? 「えーっと…、こ、ここで?」 そんなわけないと思いつつ訊いてしまったら、驚くことに修くんはうなづいた。 「うん、駄目?」 「駄目っていうか…、あの、今?」 「今しかできないと思うけど」 ちらっと腕時計を見た修くんが言う。 「先に服脱いで、そっち入って?」 そっちって、バ、バスルーム…? 「う、うそ…?」 なんで?バスルーム?…で、するの? 「嘘言ってる時間も惜しいから、ね」 そう言うなり、さっと私の手を外してシャツを下ろした。 「あ、やっぱり下も染みちゃったね…」 キャミソールにも染み込んだコーヒーを見ながら、修くんが言う。 「お腹も濡れちゃった?」 「あ、うん…少しだけ」 冷えたコーヒーの香りと冷たい感触が、みぞおち辺りから下腹部にかけてある。 「じゃぁ俺、洗うから。恵さんは脱いでシャワーして」 「えっ」 「え、じゃないよ。冷えたらまた風邪引いちゃうから、早く」 「でも、そんな…」 「ほら」 キャミソールの紐を下ろされて、ストンと足元に落ちたら上半身は下着だけになってしまった。 昼間とはいえ冬の脱衣室は寒く、ぶるっと肩が震えた。 「中、暖房入れたから」 「え、暖房?すごい…」 思わず感心していると、スカートのファスナーも下ろされてしまう。 「あっ、修くんっ…」 「恥ずかしがってないで早く脱いで」 「だってっ…」 恥ずかしいに決まってる。明るい室内であちこち全部良く見えてしまうはずだ。 「じゃぁ俺こっち向いてるから、早く脱いで入ってね」 シャツとキャミソールとスカート、染みのできた衣類をかき集めて、修くんが背中を向けた。洗面台で濯ぐ気らしい。 「は、入らないと駄目なの…?」 このまま2階へ戻って服を着るだけでは駄目なんだろうか。 「駄目。離れないでって言ったでしょ」 「う…」 何が何でもバスルームでする気だ… でも、どうやって…? そんな困惑をよそに、早くも水を流してシャツを濯ぎ始める彼。 「恵さん」 「はいっ…」 「下着も脱がしてほしいの?」 こっちを見てもいないのに、まだオロオロしているのがバレている。 「ち、違うよ…」 「じゃぁ冷える前に早く」 「あの、じゃぁ、入ってます…」 他の選択肢が見つからなくて、観念して下着を脱いだ。二つ折りの扉を開けて、中へ入る。 入れたばかりの暖房が早くも効いていて、体がふわりと暖かい空気に包まれた。 真夏でもないのに昼間からシャワー。 なんでなんでと、頭の中は混乱しているけれど。 洋風な作りの家の中で、ここだけは今どきのユニットバスだと気づく。でも、半分を占めるバスタブが大きめで、正面の鏡は横長。一般的なユニットバスより少し広いような気もした。 さらに、並んだシャンプーボトルや半透明の美しい石鹸に目を惹かれる。 見たことのないシャンプーとコンディショナーは深い青色のボトル。石鹸は琥珀のような色。 「わぁ…」 思わず手を伸ばしかけたら、扉の向こうの水音が止まった。 ハッとして耳を澄ますと、バサバサと服を脱いでいるような音がする。 どうしよう?彼が来てしまう… 明るいし、全裸だし、バスタオルなんかもちろんない。 どうしようもなくてしゃがみこんだところに彼が入ってきた。 「…?なにしてんの?」 「なにって、その…」 恥ずかしくてしゃがんでます…。 「シャワーしないの?お腹、コーヒー付いちゃったよね?」 「ん、うん…」 「仕方ないな」 「…えっ、ぅわっ…」 両脇に手を入れてぐいっと立たされて、正面のシャワーコックを修くんが捻る。 片手で温度を確認しながら、ふたりの体にかかるようにヘッドの向きを調整した。 「あ、あったか…」 「風邪引いたら困るからね」 言いながら石鹸を手にとって泡立て始める彼。 柑橘系のいい香りがする。 両手いっぱいになった泡で、後ろから手を伸ばして私のお腹を撫で始めた。 「どうかな」 「う、ん。ありがと…」 洗ってくれるのはシャツだけじゃなかったんだ… 前にも、体を洗ってもらったことがある。 ベッドで彼に乱されたあと、足腰立たずに動けなくなってしまった時だった。 あの時も相当恥ずかしかったけれど。 今日も負けていない。 「修くん…あの」 「ん?」 彼に背中を向けた状態、明るいバスルーム。 彼とするのはいつも昼間だけれど、それにしてもここは明るすぎて。 カーテンもないし、ベッドも何も、縋るものもない。 ここで、どうやって…!? 「ここで、できる…の?」 恥ずかしさのあまり、何故か小声になってしまう。 修くんがふっと笑った。 「…できるよ?」 「そ、そう…?」 そう言うのならそうなんだろう。 「……あれ、恵さん」 「ん…?」 「それ、手首どうしたの?」 「あ…、これ」 昨日の火傷。 大したことはないけれど、防水になっている保護テープだから貼りっぱなしにしていた。 「昨日、焼きそば作ってたらフライパンに触っちゃって…」 「え、火傷?」 「ちょっとだけだよ」 これは、修くんのこと言えなかったな… 今頃になってそう気付いて、気まずい思いをする。 「見せて…あ、これって剥がさないほうがいいやつ?」 「ううん、もう痛くないから剥がしても平気」 「そう?…シャワーあてながらなら痛くないかな…」 端からゆっくりとシートを剥がすと、思ったよりも赤みの残る跡が現れた。 「痛そうだけど…」 「ううん、痛くないよ?」 「父さんもこういうのたまに貼ってる」 「あ、キッチンだときっと火傷も多いよね…」 「うん、こういうのって薄いから貼りにくいって、俺がやらされんの」 苦笑いの修くん、やっぱり優しい。 親子で向き合っている姿を想像したら、自然に口元が笑ってしまう。 「恵さんは器用だね。自分で貼れるんだ」 「ううん、これは冬馬さんが…」 「えっ」 傷をそっとなぞっていた彼の指が動きを止めた。 「冬馬がやったの?」 「うん…」 薄いフィルムだから、自分で片手で貼るのは難しくて。それを見越したように冬馬さんが貼ってくれた。 「……冬馬が貼ったってことは、あいつ恵さんに触ったってこと?」 「え…うん」 触れずに貼るのはかなり難しいと思う。 「……」 「修くん……?」 じっと手首を見ていた視線を、こっちに向けられてドキッとした。 「こういうのにいちいち嫉妬するって言ったら重いよね」 「あ…」 だからそんな顔をしてるんだ… 苦しいような、悲しいような。 「ごめん、私…」 自分ですればよかったのに。 「違うよ、謝るのは俺。ごめんね」 「なんで?修くんだって、謝る必要ないよ」 「んー…」 そうは思わないっていう顔、だ。 これはちゃんと言わないと。 「私、嫌がってないよ。嫉妬されても、嫌じゃないの。私だって嫉妬することもあるんだし、修くんはモテモテだから、ほんとにしょっちゅう…で、だ、だから、それだけ好きでいてくれるのが嬉しいくらい…だし」 「……うん?」 だんだん自分の言っていることがわからなくなってくる。 しかも、必死で言い募っているうちに修くんの表情が変わっていて。 「ねぇ…、なんで嬉しそうなの?」 ていうか、なんで私達、こんなところでこんな格好でこんな話してるんだろう…? 「ふはっ…」 彼はついに笑い出した。 「え、なに笑ってるの…?」 「ふふ…恵さんが、可愛いから」 「!?」 「あー、可愛い」 言いながら、横向きになっていた私の体をまた鏡の方へ向けた。そのまま後ろから抱きしめられる。 「!」 なにか、あたる…んだけど。 「…わかるよね?」 修くんの、が、こんなになってたなんて気づかなかった。背の高い彼の顔ばかり見ていたら、下を向くことがないのだ。 「……っ」 焦って、うなづく。 「何か、俺だけその気になってる?」 耳元でそんなことを囁かれたら、こっちも一瞬でその気になってしまう。 「そんなこと…」 「ない?」 「ん…」 「…ほんとだ」 くすり、と笑った修くんが、「見て」と言ったのは。 正面の、横長の大きな鏡。 シャワーの熱気で曇っているけど、ぼんやりと私達が映っているのはわかる。 「顔、赤いね」 「そ……?」 曇ってて、よくわからない。 「ここも」 言いながら、修くんがうなじにキスした。
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