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1.
女子高生にとって前髪は命だというのに、その前髪が決まらない。
それもこれも全部、湿気のせいだ。
「なぁんで梅雨でもないのに連日雨が降るんだよぉ!」
「春田、雨嫌いだねー。ま、あたしも好きじゃないけど」
「だぁってさぁ、ジメジメするしウネウネするし、テンション下がるんだもん」
友人の朋美が「気圧の問題かねぇ」とストレートの前髪をいじる。その悩みのなさそうな前髪と、うねった私の前髪を交換して欲しい。
「ううう、憂鬱だ……」
普通列車が右側からやって来た。ホームに音楽が鳴り響く。
その音楽さえも半音くらい低い気がして、ため息が出た。はぁぁ……気が重い。
電車から吐き出される人がいなくなってから乗り込んだとき、普段はいないはずの人——早川くんが同じ車両の別の入口から入ってきた。私は思わず前髪を手で隠す。
うわ、どうしよう。朝から早川くんの姿を見られたのはすごく嬉しいんだけど、今の姿を早川くんに見られるのはすごく嫌だ。
目を合わせないように縮こまっていると、「おはよ、春田」とすぐ近くから声がした。
私を見つけてやって来てくれたのだろうか。
最高なんだけど最悪だ。
私は手で前髪を押さえながら顔を上げた。
「おはよ、早川くん」
さっきまで隣にいた朋美は、いつの間にかいなくなっていた。
分かっている。わざと離れたのだ。変な気を使いやがって……ありがとう!
朝の電車、ましてや雨の日の電車はほぼ満員。座れるわけもなく、私と早川くんは隣同士つり革を持って揺られることとなった。
ドアが閉まる音が鳴り、電車はゆっくりと動き始めた。
湿気が電車内に充満し、雨のにおいが漂う。
頼むからこれ以上前髪に水気を与えないでくれ……
「毎日これくらい電車って混んでんの?」
「あぁ、うん。今日は特に雨だから、余計混んでるかも。っていうか早川くんって自転車通学じゃなかったっけ。一時間近くかけて来てるんだよね?」
「え? あぁ、うん。チャリの方が便利だし。ただ雨が降るといつもならバス使ってたんだけど、電車の方が長く寝れるなって気づいてさ」
「まぁバスより電車の方が本数多いもんね」
「そういうこと」
ガタンガタン、と小さく揺れながら進む電車。流れる景色は灰色だ。
ちょっと待って。私今、早川くんと一緒に学校行ってるの? いやいやいやいや。雨なのに朝からこんな幸せなシチュエーション、いいんですか?
はい、私は早川くんが好きです。きっかけなんて別にいいでしょ。好きなものは好き。これは雨が降ろうが槍が降ろうが変わらない事実。
好きだから、正直雨の日の朝から会いたくなかった。いや、実際は会えて嬉しいし、一緒に登校するという夢のような時間を過ごせているのは大変光栄なのだが、なんせ命の前髪が整わない。好きな人とは万全の体制で向かい合いたいっていうのが乙女心なのに、雨はそんなことお構いなしらしい。
しきりに前髪を触っていると早川くんが「なに? 前髪切りすぎた?」と覗き込んできた。
ひぃぃい! 見られたくない!
「いや、雨が……雨にやられまして、悲惨なのです」
「あー、女子の敵だ。雨」
近づいた早川くんの顔が遠ざかる。ホッとしたような、残念なような。乙女心は複雑なのである。
電車が止まり、乗客が増えた。私と早川くんの距離も少しだけ近づく。当たりはしないけど、ちょっと揺れれば早川くんの身体のどこかしらに、カバンを持った私の肘が当たりそう。なるべく当たらないように気をつけながら足に力を入れた。
「そんな雨が嫌いな春田に、これをあげよう」
私の葛藤など微塵も知らない早川くんは、制服のポケットからなにかを取りだして私に差し出した。グーの形で握られているからなにが入っているのか分からない。おずおずと右手で受け皿を作ると、早川くんのグーが置かれた。
わ、手が触れてる……
パッと手を開いた早川くんから受け取ったのは、いちご柄の包装紙に包まれたお菓子だった。
「これは……飴?」
「正解。いちごミルク味」
優しく微笑む早川くんに、心臓が激しく動き出す。
反則だ。電車の揺れと相まって微かに揺れる早川くんの背後が眩しい!
「雨が嫌いなら、雨の日には俺が春田に飴ちゃんやるよ。雨に飴ちゃん。少しは好きになれそう?」
「うん。なれる。雨の日は早川くんから飴ちゃんが貰えるって思えば、雨の日も悪くないって思える」
「ははっ。じゃ、そうしよう」
早川くんはオマケ、と言ってもうひとつ飴をくれた。
なにこれなにこれ。え、待って。こんな夢みたいなことあっていいの?
私は前髪を押さえることをすっかり忘れ、もらった飴はひとつだけ宝物箱に入れて取っておこうと誓った。
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