狂弾は還らず

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     一  喫茶店に入ると、カウンターの店主がスポーツ紙から顔を上げた。  店内は昭和を感じさせるレトロな雰囲気だ。デイパックを肩から降ろしながら、奥のテーブル席へむかう。横山裕司は席に着くと、隣の椅子にデイパックを置き、胸のジッパーを少し下げた。  Tシャツが少し汗ばんでいる。通気を確保するため、両腋下のジッパーも開けていた。上着は、ヘリコンテックス社の黒いタクティカルジャケットだ。下はコンドル社のカーキ色のパンツで、足はベイツ社の黒いタクティカルブーツ。日本ではミリタリーマニアかサバイバルゲーマーしか着ないような恰好だ。  店主が水のグラスを持ってきた。裕司はメニューをちらりと見て、ナポリタンとサラダ、コーヒーのセットを註文した。無愛想に返事をして、店主が戻っていく。  裕司はテーブルの端にある灰皿を引き寄せ、ジッポを鳴らしラッキー・ストライクに火を着けた。煙草が()えるから、ここを選んだ。この街には、一週間前にも下見で来ている。  煙草を消し、しばらく窓の外を見ていると、店主がトレーを運んできた。  裕司はサラダの上のミニトマトを摘み、口へ(ほう)りこんだ。飲みこみながらサラダの小皿を手に取り、かきこむようにして平らげた。  小皿を置き、裕司はナポリタンの皿を引き寄せた。フォークに少しだけパスタを巻きつけ、(すす)るように食べた。大してうまくはないが、どこか懐かしい味がする。ソースの絡んだベーコンやピーマンの味は、悪くない。  ナポリタンを食べ終わる頃合いに、コーヒーが運ばれてきた。コーヒーは詳しくないが、なかなかうまい。ふた口啜って、裕司は煙草に火を着けた。たちのぼる紫煙をぼんやり見つめながら、この二年間をふり返った。  陸上自衛隊員だった裕司は、ある休日の夜、繁華街でチンピラ五人を相手に大立ち回りを演じた。警察まで出動する騒ぎは隊内で大問題となり、中隊長の執り成しで懲戒処分は(まぬが)れたが、依願退職というかたちで自衛隊を辞めることになった。  その後雀荘のメンバーとなったが、身の丈に合わない高レートに手を出し、闇金の社長に連れていかれそうになったところを、築根組の若頭に拾われた。そのままアパートや仕事を世話して貰ったが、盃は交わしていない。  裕司が与えられた仕事(シノギ)は、コスプレ喫茶の厨房だった。店長は組の人間だったが、女の子たちはそういった事情は知らないようだ。  何回か、切り取りと呼ばれる債権回収の手伝いをした。そういう時は、元自衛官という経歴が少しだけ役に立った。麻雀のメンツが足りない時は、事務所に呼ばれることもあり、ほとんど負けることはなかった。  ただ、先月に組の代打ちとして参加した賭場で、五千万ほど負けた。  いつか鉄砲玉を頼むかもしれない、と若頭(カシラ)は言っていた。いま、その時が来た。盃を交わさなかったのは、若頭の頭にあらかじめ絵図があったからだろう。金で埋めることができないから、命で埋める。二十七歳の自分の命と、五千万が釣り合うのかどうかは、わからない。  逃げ出そうと思えば、いくらでも機会はあった。それをしなかったのは、組に対する忠誠や恩義ではなく、面白そうだと思ったからだ。戦闘訓練や路上の喧嘩、博奕をやっている時だけ、裕司の血は熱く燃え、生を実感できる。それ以外のことは、退屈だった。酒も女も愉しいのは一時だけで、あとでむなしくなってしまう。  心のどこかが(こわ)れている、と自分でも思う。だが、自分を変えようとも思っていない。そういう性分を、若頭には見抜かれていたような気がする。  はす向かいのビルの一階ガレージに、車が入った。後部座席から、中年の男が降りてくる。鳥川組組長。二人の組員が後ろを固め、ガレージから二階へのびる階段を登っていく。  裕司は次の煙草に火を着けた。焦る必要はない。鳥川の(タマ)を獲ればいいというわけではないのだ。鳥川組そのものを、壊滅させる。ひとりでできるかどうかは、深く考えなかった。やるだけだ。  煙草を喫い終えると、裕司はコーヒーを飲み干し、会計を済ませた。  財布をポケットではなくデイパックにしまうと、店主は不思議そうな表情を浮かべたが、すぐにスポーツ紙に眼を落とした。
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