【side 羽賀井千早】

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「なあ、千早」 「玲二(れいじ)」 ガタッと俺の前の空いている席の椅子に跨がるようにして座り込んでこちらを向いたのは、クラスメイトの玲二だ。 「お前さ、公立一本なんだってな?」 「あぁ。……うち、余裕ないから。何校も受験する」 「確かにな~何校受けても行ける大学は結局1つだもんな。本命受かりゃーいいって話で」 玲二は、俺の家の特別な事情を知る数少ない人物だ。高校になってから出会ったけど、一緒にいると楽だし、卒業してからも付き合っていきたいと俺は思ってる。 「玲二は?滑り止め、昨日ひとつあっただろ」 「うん。まあ、滑り止めだから。俺も本命はまだ先だ」 「……早く終わってほしいな」 ここまでくると、もうどうにもならない。今さらあがいたところで変わらないのはわかってる。 でもなにかしてないと……変なプレッシャーに押し潰されそうになる。 「?千早?」 「……あ」 玲二が、机の上に置かれた俺の手を見た。 ……やばい、震えてる。 俺はバッと、自分の右手を左手で隠した。 「ごめん、突然緊張してきた」 「大丈夫か?」 「うん」 「……専願は辛いな。大丈夫だよ、お前ならできる。俺が保証する」 そう言うと玲二は、俺の手に被せるように両手を重ねてきた。 ……あたたかい。こどもみたいに。 「……玲二、あついよ。熱ない?」 「ねーよ!俺、体温高いの。だから、あったまりたくなったら俺がお前を抱きしめてやるよ」 なっ、と優しい声で玲二はそう言った。 俺はそれだけで段々気持ちが落ち着いてくる。 「……玲二、」 「うん?」 「卒業しても、友達でいてよ」 俺がそう言うと、玲二は少し恥ずかしそうな嬉しそうな顔をした。 「当たり前だろー!俺とお前の進路がどうなろうが、俺らの関係は変わんねーよ。つーかハズイ!そんな真っ正面から言われると」 「……ありがとう」 今日、クラスメイトは半分ほど欠席している。授業もほとんど自習だ。 「玲二」 「おう」 「……俺さ、卒業したら考えてることがあって」 俺は、重ねられた玲二の手を見つめながら、まだ誰にも言っていないことを言葉にした。 「大学に受かっても落ちても、駿介さんの家を出る。あの人にはもうこれ以上、俺の面倒を見てもらうことはできないから」 ***** そんなことを言おうものなら、きっとまた「お前は甘い」と言われるだろうか。 それとも、「ようやく出ていくか」と言われるか。 ……両方かな。 「ただいま」 ガチャ、と玄関を開けると来客と見られる女性ものの靴が置いてあった。 駿介の客だろうか。俺が扉を閉め鍵をかけたとき、パタパタと廊下を誰かが歩いてくる音がした。 「あ、千早くん?」 「……あ……えっと、」 「おかえりなさい~。ごめんね、受験生のお宅にお邪魔して。私、KK出版の品川です」 「品川さん。……お久しぶり、ですね」 品川という女性は会ったことがあった。駿介が契約してる出版社の編集者だ。 仕事の話だったか……と俺はほっと息を吐く。 「先生に新連載のお願いをしていたところでね。もう終わったから私は帰るところなんだ」 「新連載?」 「そう。試しにネットに載せた短期連載が好評だったから、紙面でもって話になったの。良かったね、千早くん春から大学生でしょ?お金もかかるだろうし、先生もーー」 「品川」 あっ、と品川が振り向くと駿介が立っていた。 「千早に余計なことをペラペラ話すな」 「あ~……すみません~!じゃ、私失礼しますね。千早くん、受験頑張って!先生、原稿ちゃんと守ってくださいよ」 品川は、そう言って慌ただしく家を出ていった。 「…………」 俺はそれを確認すると、廊下の向こうにいる駿介を見た。 「駿介さん」 「帰ってきたならただいまのひとつくらい言えよ」 「……言いましたけど」 「ふうん。なんでもいいけど、お前、いい加減本番なんだろ。さっさと風呂入って飯食って寝ろ」 駿介はそう言ってさっさと自室にこもってしまった。 さっきの話…… やっぱり、俺が大学行くといくら公立でも厳しいのかな。負担になってるのだけは間違いなさそう……。 俺は駿介の部屋の前に立ち、扉をノックしようか数秒迷いながらも、やめた。 今はまだ、試験前だ。余計な雑念は入れたくない。 そう決めて、俺は駿介の言う通り本番に備えることにした。 ***** 人生でこんなに緊張したのは、初めてかもしれない。 高校入試もそこそこ緊張した。 でも、公立でレベルに見合ったところをふたつ受けたのでたぶん大丈夫だという自信があった。 でも今回は、またそれとは違う。 専願だし、就職先情報集めはほとんどしていないので、もし落ちてしまったら俺の人生これからどうなるんだろうという怖さがある。 ーー落ちつけ、俺。……いつも通りやればできる。 試験会場で、鉛筆を持つ手がこんなに震えるのはきっと、後にも先にも今日だけだと思った。 合格発表は、高校の卒業式が終わったあとになる。俺は、不安を抱えたまま、3年間通った高校を卒業した。 ーーそしてその日、駿介は外出していた。 新連載の打ち合わせとかで、最初は19時に帰ると言っていたのが、最後にはいつ帰れるかわからない、に変わった。 もうすぐ日付が変わる……。 俺は、リビングでひとり駿介の帰りを待った。 ーーガチャ。 「!」 玄関のドアが開いた音がしたとき、俺はうつらうつら眠りにつきそうになっていた。 慌てて起き上がり、廊下に出る。 「駿介さん」 「……あー……千早か?なんだお前、まだ起きてたのか」 今何時だと思ってる、と部屋に入るなりジャケットやネクタイを脱ぎ出して、そのへんに投げ捨てた。 「ごめんなさい、直接言いたくて」 「メールなら見た。おめでとう」 「………ありがとう」 冷蔵庫から水を取り出し、コップに注ぎながら駿介はぶっきらぼうにそう言った。 俺は、無事に志望大学に合格した。今日は、その発表日。手続きを明日にでもすぐにしなければいけないので、駿介が帰宅するのを待っていた。 ……大手を振っておめでとうと言ってくれるような人ではないことはわかっていた。 高校合格のときもそうだったし。 けど、日付が変わるまで電話一本もないんだと少しガッカリしたことは、俺のわがままだろうか。 ーー親でもないのだから。 「それで……手続きをしなきゃいけなくて。書類のサインと、……お金の振り込みをお願いできませんか」 「金?」 お金の話を出すと、駿介はパッとこちらを見た。眉間にシワを寄せながらため息を吐く。 「受かった途端に金、か」 「…………すみません、期日までに支払わないと合格取り消しになるので」 「ちっ。わかったよ」 駿介は渋々俺から書類を受け取った。 「…………振り込んだら控えを頂けますか」 「はっ、信用ねーのか」 「……そういうわけでは」 「姉さんの愛息子で、4年も一緒に住んでる奴に、そんな人生白紙にさせるような意地悪、するわけねーだろ」 ガキはおとなしく喜んでおけ、と、駿介は俺の背中をバンッとたたき、リビングを出ていってしまった。 …………怒らせた?やっぱり、俺が合格したことは、駿介さんにとっては嬉しくないことなんだろうか。 俺はしばらくその場に立ち尽くしたまま、動けなかった。
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