主人公のリア充化についての考察。

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主人公のリア充化についての考察。

 かつて米国のイカしたギークやナード共が、自身の鬱屈を晴らす為にヒーローを創造したという話が未だ以ってまことしやかに囁かれている通り、物語の主人公というものはただ優しく穏やかに生きているところを、横暴な者達から陰惨な目に遭わされてきた。  そうしていじめられっ子は周囲から寄ってたかって追い立てられ、絶望の淵、突如として霊験あらたかな某かに目覚め、ヤンキー共を蹴散らすのだ。  王道というのは広く望まれる故に王道足り得る。不遇な優等生は『力』さえ有れば、何時だってたむろする不良共をぶっ飛ばしてやりたいと考えているのだ。  さて、近年持て囃されている漫画やアニメを考えた時に、その主人公が周囲から虐げられているかというと必ずしもそんな事はない。発現する『力』の都合上、過去に酷い目には遭っているものの、彼等は概ね明るく真っ直ぐで、周囲から友好的に扱われるリア充である。穏やかに暮らせばいいところをわざわざ死地に飛び込んでいくようなのが増えた。  この変化は、一因としてオタク文化の周知と浸透が考えられる。ソースもデータもないけど。  かつてオタクは教室の隅っこでデュフデュフ言いながらアニメ雑誌を読んでいた。周りから「気持ち悪い」などと蔑まれ、犯罪者予備軍という扱いを受けていた。  それを指差して嘲笑っていたイケメン共が、オタク文化の浸透と共に今ではアニメを観るようになってしまった。ではそういった人達が、いじめっ子をグチャグチャにする場面に共感するかという話。  今は老若男女みんなアニメを観る。なもので、より汎く共感が得られるように、より身分の高い存在がより悪辣な方法でより沢山の人間を苦しめるようになった。上級国民ならケチョンケチョンにしてしまっても心が傷まないということなのだろう。  一方で、オタク文化が浸透しようが『キモオタ』は相変わらずデュフデュフいってる。そこに『奴等』がわざわざ「理解あります」みたいな顔をして近付き、キモいキモいと花園を踏み均してくる。モテない僕達は、終に二次元すら奪われてしまった。  だが僕が決して絶望しないのは、ライトノベル辺りがその受け皿として根強くオタクの夢を補填してくれているからである。ご都合展開だからどうした、全肯定してくれる爆乳美少女が奴隷堕ちしてちゃ悪いか。その他のキラキラした部分を、『奴等』がまとめて攫ってっちゃったのが悪い。  汎く共感を得るために主人公はリア充が増えたし、平和なオタクはただの気持ち悪い人になってしまった。そりゃあ転生者も流行るってもんである。異世界にでも行かなきゃ、自分がリア充になる想像なんてつかない。オタクの中に『奴等』が流入してきたせいで、オタクすらそこを目指すようになってしまった。
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