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啓発ポスター
『いいかげんにしろ』
覚醒剤撲滅を掲げた啓発ポスターにて、芸能人の怖い顔と共に、
『いいかげんにしろ!覚醒剤に関わるな!』
かな?多分そういう文言が書かれていた。
とりあえず『いいかげんにしろ』は、既に関わった人に対する物言いだろうというのがひとつ。もうひとつは、関わりたくて関わったのかな、という疑問である。不幸にも関わりを持ってしまうイメージだが、その際にポスターに写る芸能人と文言はきっとその人を止める要因にはならないだろう。
まあ目を引くって意味では芸能人の方が良いだろうし、もしかしたらストレートに書くよりも少し違和感のある文書にした方が却って記憶に残るみたいな意図があるのかもしれない。だとしたら僕みたいなのは『まんまと』ってヤツか。
幸いな事に僕はド陰キャなので、そういったものを勧めてくるような知り合いはいなかったし、夜の繁華街をひやかして周ったような経験もない。友人とお酒を飲んだ時も賑やかな場所ではなく、静かなところを好んで徘徊していた。その散歩が一体何なのかはちょっと僕自身にもよく分からないが、とにかく覚醒剤に関わるような人はいない場所が、酔っ払った僕達のお散歩コースである。
そんな感じで、およそハードボイルドとは無縁な人生を送っていた僕ですら、おそらくそうであろうという様な経験をした事がある。
中学二年生の頃。春か秋の事だと思う、土曜日の昼頃。帰宅途中の電車の中の出来事である。僕は電車に備え付けのトイレの前で順番待ちをしていた。トイレの扉の横に立ちながら本を読んでいると、流れる音がしてトイレの中から人が出てきた。読んでいた本をバックにしまいトイレに入る。鍵をかけ、ズボンのファスナーを降ろした辺りで、トイレが異常な臭気で満たされている事に気付いた。
なんて表現したらいいのか。昔のプラモデルの塗料をもっとずっと脳に悪いようにしたような、本能が危険を告げる臭い。
人間ってすごい、けっこう危なかったはずの尿意も即座に引っ込み、既に頭痛に視界がぐるぐるしてるのに直ぐトイレを出れた。バックもちゃんと担いでいる。
想起したのは化学薬品、地下鉄のあの事件である。ああ死ぬって思った。ふらふらして電車の壁に寄り掛かり、立っていられずそのままへたり込む。視界が金属色というか、全部に光沢がかかり赤青黄色とテラテラ光る。
声があげられず動悸も収まらない中、助けが欲しくて顔を上げるとドアの横に立っていた人と目が合う。ギスギスに頬の痩けた東南アジア系の若い男。無言でこちらを睨んでいる。僕が入る前にトイレを利用していた人だった。
目を見開いてこちらをみている。直ぐに逃げたかったが足腰が立たない。車内は無人ではなかったが近くに人はおらず、喘ぐばかりで声がまるで出ない。
そのまま暫く見つめ合った後、やがて男がゆっくりとこちらに向かって来た。ちょっと本当にマズいと思ったが身体はやはり動かない。
改めて、死んだ、と思ったその時、電車のドアが開き、車内に入って来たサラリーマンと男がぶつかった。
男はサラリーマンに向かって何か叫び掴みかかった後、キョロキョロと辺りをみながら電車を降りていってしまった。
へたり込む僕と呆然とするサラリーマン。電車のドアは閉まり、僕は多分、よく分からない何かから脱した。
間もなく復調し、降りた駅でその旨を駅員さんに報告する。名前と電話番号を尋ねられたが、後にかかってきてないので事件にはならなかったのだろう。
となるとしかし、じゃあアレは何だったんだという事になる。スゴい臭いおしっことかではないと思うが、臭いが部屋の中に残るようなのがあるのだろうか。僕は知らない。
そんな訳で、努めて危ない場所に近付かない僕が唯一、もしかしたらそういうものに関わった経験がコレである。あ、因みに漏らしてはいないので悪しからず。
いや、本当に死ぬかと思った。いいかげんにして欲しい。
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