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初夏
〈初夏①〉
自分が他人と違うと気づいたのはいつだったろう。
物心ついた時から体が弱く、しょっちゅう熱を出したり倒れたりしていた。学校は休みがちだったから、友達もなかなか出来ず、家で本ばかり読んでいた。
そして、高校生になる頃には自分の性的指向を自覚した。体ばかりではなく、心までも自分の思うままにはいかない。それを誰かに打ち明けることにも躊躇するようになり、いつも秘かにため息をついていた。
自分の体を忌まわしく思ったことは、数えきれないくらいある。
何でもっと 元気になれないんだろう
何で僕は 男の人に惹かれるんだろう
この2つが繋がったのが、高2の時だった。
僕はひとつ上の先輩に恋をして、彼に告白した。先輩も僕を受け入れてくれて、すぐにカラダの関係が出来た。初めて抱かれた時に、彼のエネルギーが僕に流れ込むのがわかった。いつも気だるかった体が軽くなり、思考が冴え渡った。
初めはセックスってそういうものかと思ってた。
だけど、彼に抱かれるたびに僕は確実に元気になっていった。好きな人に抱かれて健康になれるなら、こんなに嬉しいことはなかったが、そう上手くはいかなかった。
僕は食い尽くすようにエネルギーを奪い、先輩は入院を余儀なくされた。彼が体調を崩したのが自分のせいだと知って、僕は愕然とした。
もちろん、そんなことになるなら彼とはもうセックス出来ないと思ったけど、カラダの関係を抜きにしても彼のそばにいたかったし、僕のそばにいて欲しかった。
だけど、一緒にいるとどうしてもお互いに求め合ってしまう。先輩は僕を抱くことを止められず、僕も彼を突き放すことが出来なかった。僕が先輩の体を心配して拒んだ時も、彼はそれを受け入れられずに心までも傷ついてしまった。
先輩は悩んだ挙げ句、物理的に離れた方がお互いのためだと考えて僕の元を去ることを選び、僕はそれを受け入れた。空港のロビーで泣きじゃくる僕を、最後に一度だけ強く抱きしめてキスをすると、先輩は振り返らずに歩いていった。
先輩がいなくなってから1年が過ぎて、僕は実家の薬局を継ぐために東京の薬科大を受験した。
何とか合格して、東京での一人暮らしが始まった。
あの別離の痛手から、僕は完全には立ち直れず、未だに誰かの温もりを求めながら、誰にも甘えられない日々を過ごしていた。
心は先輩を恋しがっていたけど、体はエネルギーと快楽に飢えてどうしようもなく疼く夜がある。
時折、気の合う人と行きずりの関係を持ったりもした。夜の街はいつも僕を受け入れてはくれたけど、心はちっとも満たされなかった。
話を聞いてくれるのは、知り合いのバーのマスターだけ。でも、そんな人がいてくれるだけで、僕は何とか頑張れるのだから、まだ恵まれているのかもしれない。東京には圧倒的な数の人が行き交っているのに、僕の寂しさに気づいてくれる人は誰もいないように思えた。
大学3年生になると、卒論のために自分の興味がある分野を研究しているゼミに所属することになる。
「樹くん」
菫さんが僕に声をかけてきた。彼女は同郷の先輩だ。入学直後に偶然に構内で会ってから、何かと僕のことを気にかけてくれている。
「研究室、もう決めた?」
「あ、いえ。まだはっきりとは…」
「樹くんって、ハーブとか漢方とか興味あったよね」
「はい。両親が結構詳しくて」
菫さんはここぞとばかりに微笑むと、僕の両肩に手を置いた。
「じゃあ、ウチにおいでよ」
「え…」
「ね。絶対気に入るから」
「ちょっと、菫さん…」
「はい。コレ」
あわてる僕に構わず、菫さんは1枚のプリントを手渡した。ゼミの案内だった。確かに彼女が所属するゼミは、僕の中で第一候補にあがっていた。
「それに」
菫さんは真顔になった。
「君のこと、放っておけないから。昔よりはずいぶん元気になったみたいだけどね」
「もう。子ども扱いしないでくださいよ」
「…心配なのはホントだよ。笑っててもいつも寂しそうな顔して」
そう言われて僕は曖昧に微笑むしかなかった。
彼女が僕のことをどれだけ知っているのか、ちゃんと尋ねたことはなかったが、だてに僕を何年も見てなかったようだ。
「なんて言ってるけど、私も今度卒業だから無責任だよね」
「そんなことないです。いつもありがとうございます」
「今日の午後に、説明会があるからおいでよ」
「はい」
「じゃあね」
彼女が男性だったら、僕たちの関係も変わっていたかもしれない。なんてことを、時々考えることもある。
って 罰当たりだなぁ…
笑顔で手を振る彼女に応えて、僕は小さくため息をついた。こんな僕を気遣ってくれる人はそういない。
菫さんはいつも僕に優しかった。
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