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〈初夏②〉
その日の午後、僕は菫さんのいるゼミを訪れた。
入室希望の同級生がもうすでに何人か来ていた。彼らがちらちらとこっちを見ているのを目の端に留めながら、僕は離れた後ろの方の席に座った。
クラスにも僕はなかなか馴染めずにいた。話しかけられればにこやかに応じるし、楽しく思うこともあるけれど、あれこれ詮索されると、それ以上は自分でもどう振る舞っていいのかわからなくなってしまう。
だから、周りが僕の近寄りがたい雰囲気を感じ取ってくれるのはありがたかった。
ほっと息をついてると、後ろから声をかけられた。
「あれ。おまえ名前書いたか」
振り向くと背の高い男性が立っていた。
整った顔立ちで口調はハキハキしている。でも、柔らかい声は耳に心地よく、瞳は優しそうだなと思った。
「あ、いえ。えーと…」
「入室希望者だろ。一応これ書いてくれる?」
「はい」
プリントを受け取って、僕は座り直して机に向かった。名前と連絡先を記入する欄と簡単なアンケートが書いてあった。
少し伸びかけた髪を耳にかけて、ペンをいじりながら空欄を埋めていった。ふと気づくと、名前を書く僕の手元を彼が覗き込んでいる。
「…何ですか」
「いや。あんまり綺麗な顔してるから、女の子かと思った。ごめん」
慣れっこの僕は、素直な彼の言葉に微笑んだ。
「いつものことなんで、大丈夫です」
彼も笑って僕から用紙を受け取った。
悪くない
そう思ったあとに、つい出てしまったいつもの自分の癖に自嘲気味になり、彼の背中を見送りながら僕はそっとため息をついた。
何だか 条件反射みたいだ
大学は勉強するところだからなんて、真面目なことを言うつもりはない。構内でも自然と目を奪われる人はたまにいる。
だけど、あと数年をここで穏やかに過ごすためには、身近な相手に恋愛感情を抱くのは、リスクが高いと思っていた。
僕の場合、1人だけでは済まないだろうから、誰彼構わず手を出してるなんて噂されてもつまらない。
しかも、男に。
夜の街では相手の情報量が少ないから、パッと見てどんな人か判断しなければいけないことが多い。人柄を探るのはもちろんだけど、その場のノリや雰囲気も大切だからだ。
自分なりの基準で相手を選び、それがそれほど逸脱してないことを、最近の僕はよくわかっていた。
僕だっていつも相手を探している訳じゃないけど、その癖のおかげで人を見る目を養えるんだと割り切るようにしていた。それに、自分と波長が合いそうな人に出会えるのは、単純に嬉しいことだった。
間もなく説明会が始まり、さっきの彼が4年生の瀬田と言う名前だとわかった。瀬田さんは5年生の佐久間さんと、ゼミの研究内容について話し始めた。菫さんから聞いていた通り、ハーブや漢方を扱っていて、それはここだけという話だった。
小さい頃から体の弱い僕のために、両親は漢方薬やいろいろな薬草を取り寄せて、僕に合うものがないか試してくれていた。それらについて学ぶのは、自分の体を知ることにもなるだろうと思って、もう少し深く関わってみたいと考えていたのだ。
15分ほどで説明会は終わった。
他にも候補があった僕は、入室を即答するか他のゼミの説明会にも参加するか迷っていた。
「あ、樹くん」
菫さんが目ざとく僕を見つけて、手を振ってきた。
僕も片手を挙げて応えた。
「来てくれたんだ」
「菫さんの知り合い?」
瀬田さんも僕に近づいてきた。
「うん。中学まで一緒の学校。と言ってもそんなに接点はなかったけどね。どう?」
最後は僕への問いかけだ。
「凄く魅力的です。でも、ちょっと迷ってて」
「えー、そうなの」
菫さんは残念そうに言った。
「ねえ、瀬田くんも誘ってよ。樹くん、こう見えて凄い根性あるんだから。知識も豊富だし、絶対戦力になるって」
「菫さん。こう見えてはないでしょう」
僕が苦笑いすると、瀬田さんが口を開いた。
「まあ、ウチとしてはやる気があるヤツなら、誰でも大歓迎だ。拘束時間が長いって噂もあるらしいけど、やりくりすれば俺だってバイト出来てるし。楽したいなら他に行けばいい」
「おい、瀬田。そんな言い方…」
僕の後ろから、佐久間さんが瀬田さんをたしなめた。彼はぷいっと顔を背けると、そのまま部屋を出ていってしまった。
「あいつ…。去年はもう少し可愛げがあったのに。何だか性格が変わったみたいだな」
佐久間さんが呆れたように呟いた。菫さんが申し訳なさそうに言った。
「ごめんね。彼も悪い人じゃないんだけど、時々はっきり言い過ぎちゃうのよね」
「僕は別に。やましい気持ちもないですし。それに先輩方からしたら、働かない後輩はいりませんよね」
菫さんは、あははと笑った。
「樹くんなら瀬田くんとやりあえそうだね」
「先輩のお守りなんて御免ですよ」
僕は眉をひそめて小声で言った。
僕はその場で入室を決めた。
やっぱり何だかんだ言って漢方薬を扱えるのは、ここしかないと思ったからだった。僕の答えを一番喜んでいたのは、菫さんだったかもしれない。
翌週には早速顔合わせがあった。
結局、僕を含めて4人が入室したのだが、研究班は4つあるので、親交を深める間もなくそれぞれに割り振られた。
僕が入れてもらったのは瀬田さんがいる班だった。僕がぺこっと頭を下げると、彼は意外そうな顔をしたあと、にっと笑って僕の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「確かに根性据わってそうだ。瞳がいいな」
「よろしくお願いします。瀬田さん」
かき回された髪をこれ見よがしに整えながら、僕は挨拶した。
「おう」
思いがけず無邪気な笑顔で瀬田さんが答えた。
いつも笑ってればいいのに
まあ 僕も人のことは言えないか…
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