喫茶まちあわせ

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あの時に戻りたい、そう思いながら人生は進んでいくんだと思う。小学生の頃は幼稚園に戻りたい、中学生になったら小学生に戻りたい、高校生になったら中学生に戻りたい、きっとそれはずっと続いていく。人は失ってからその大切さに気付くのだ。隅田桃香は上京して一年。何かを目指したわけじゃなくて、東京の灯りと賑やかさに憧れて上京した。桃香の実家はど、がつくほどの田舎だ。小中学校は町に1つで1学年は10人くらい。どこを見ても田んぼだし、コンビニも町に一軒のセブンイレブン。しかも20時には閉店。おしゃれなカフェなんて行ったこともないし、カラオケもファミレスもない。そんな町で中学生まで過ごし、高校と大学は電車で2時間かけて通った。そして一年前、大学を卒業した桃香は東京に行けばきっと楽しいと思い立ち上京した。音楽が好き、それだけの理由でタワーレコードの正社員に応募したが落選し、彷徨った挙句にタワレコ近くの路地を入ったところにある古い小さな喫茶店「まちあわせ」のマスターに拾ってもらった。 マスターとの出会いは上京して3ヶ月の頃。様々な企業からお祈りメールが届くなか、知り合いもいない東京の夜に深い孤独を感じ、公園のベンチで絶望していた時に出会った。白髪混じりの背の低いメガネのおじいさん、 「これ、よかったら…」 と小さめの薄茶色の紙袋を渡され、去っていった。袋には黒い字で『喫茶まちあわせ』の文字。開けてみると一切れのアップルパイが入っていた。それと小さなメッセージカード、「お待ちしています。」普通なら突然お爺さんに渡されたアップルパイなんて怖くて食べたりしないだろう。でも、今の桃香は自分を待ってくれている人がいるということに感動し、アップルパイを一口食べた。そのアップルパイは、今までに食べたことないくらい美味しかった。サクサクの生地に甘いりんご、まだほんのり温かくてバターが香る。どうしてもおじいさんにお礼がしたくて、喫茶店に向かうことにした。タワレコの近くの路地を曲がって少し行った暗い道に木造の建物があった。入り口には『喫茶まちあわせ』の文字があり、窓からオレンジ色の暖かい光が漏れている。引き戸をカラカラカラと引くと、実家と同じだとあのど田舎を思い出した。コーヒーの香りがふわっと香る。 「いらっしゃいませ。」とカウンターに立つさっきのおじいさんが言う。目が合うと、 「あ、先ほどは失礼しました。お待ちしておりました。」 とふわりと笑みを浮かべる。 「あの!さっきはありがとうございました。アップルパイ、すごく美味しかったです。」 「よかった。すごく寂しそうな目をしてらしたから放っておけなくて…。就活ですか?」 「はい。」 「うちに、来ますか。」 「え?」 「もしよかったら、うちで働きませんか。」 こんな経緯で、こんなあり得ない経緯で今もこの喫茶店で働かせてもらっている。 ある日ピロンと桃香のスマホがなった。小中の同級生からだった。 [桃香、久しぶり。来週の日曜日同窓会するんだ。来ない?颯斗も来るかも。] 桃香の中の忘れようとしていたことが全て蘇るような感覚になり、軽くパニックを起こす。 「桃香さん、大丈夫?」 マスターの声で我にかえり、 「あ、はい。すみません。」 と咄嗟に答えたが、思考は止まらない。 桃香には生まれた時からずっと一緒に育ってきた幼なじみがいた。名前は浅野颯斗。家が隣で家族ぐるみで仲良くしていて、小さい時は一緒にお風呂に入ったり、自分の家みたいにお互いの家に泊まったり、どこに行くにも一緒で兄弟みたいに育った。幼稚園も小学校も中学校も毎日一緒に行くくらいずっと仲良くやってきた。颯斗がいないと生きていけないんじゃないかとすら思っていた。今思えば、きっとあれは恋だった。でも、ど田舎のオンボロ中学校に付き合うなんて概念は無かったし、恋愛をしているとすら気づいていなかった。付き合うなんて口約束を交わさなくても一緒にいられる関係だったから。中3の冬までは。 あの日、いつも通り寒い教室で2時間目の国語の授業を受けたいた時、担任の先生が走ってきて「浅野くん!すぐ来て。」と颯斗を連れ出した。颯斗がなかなか帰ってこないと心配していると、「隅田さん、帰る用意をして。颯斗くんのも。すぐにお母さんが迎えにくるから。」 と担任に言われた。それに従って一階に降りるとちょうどお母さんが車で迎えに来た。車に乗り込むとお母さんはいつになく焦った顔で 「颯斗くんのお母さんとお父さんが亡くなった。」そう告げた。言葉が出なかった。あとから聞くと、自営業だった颯斗の両親は2人で歩いて仕事場に向かっていたときに歩道に居眠り運転の車が突っ込んできたらしい。 病院に着くと颯斗が廊下の椅子に座っていた。 「颯斗!!!」 名前を呼び、走っていって抱きしめる。でも颯斗はされるがまま。顔を見ても泣いてもいないし、ただ茫然としているように見えた。お通夜、葬式と手伝いに行ったが颯斗はずっとあの表情のままロボットみたいに動いている。 あの日から颯斗は学校に来なくなった。毎日家に行くけど、チャイムを押しても返事はない。事故の後、こっちに越してきた颯斗のおばあちゃんが出てきてごめんね、とだけ言ってくれる。颯斗と会えなくなってただ寂しい思いだけが募る。 明日は卒業式。どうしても颯斗と卒業したくて、今日もチャイムを押す。すると颯斗が出てきた。 「もういいから。会いたくない。やめて。」 それだけ吐き捨てるように言ってまた家のなかへ姿を消した。初めてだった。颯斗にきついことを言われたのも、颯斗が怒ってるのを見たのも。確かだったのは颯斗が泣いていたということ。でもその時の桃香にはそれが何の涙か理解できなかった。 「いつまでくよくよしてんのよ!颯斗のばか!」そう大声で言って走って逃げた。それが颯斗に向けた最後の言葉だった。きっとあの時恋人だったら、無理にでも家に上がり込んで抱きしめていたと思う。幼馴染は1番近くて1番遠い存在だった。あれから一度も会っていない。 颯斗を忘れるために高校ですぐに彼氏を作った。でもどこかでずっと颯斗のことが離れなくて、長続きはしなかった。でもやっと忘れられそうだったのに、同窓会に来ると聞いたら心が動きそうになる。でも、もう颯斗に合わせる顔が無い。きっとあんなに怒ってたんだ、颯斗も会いたくなんて無いはず。 [ごめん。行かない。] そう返信をして仕事に戻る。あまり客の多く無い喫茶店だからクラシックのBGMを聴きながらゆったりと働かせてもらえている。営業時間も決まっていない。来たい時にきて帰りたい時間に帰っていいとマスターに言われている。18時をまわった頃、エプロンを外してマスターに一声かけて店を出る。スマホを確認するとニ件の通知がきていた。 さっきの同級生から [分かった。また会おうね!] そしてもう一件は [久しぶり。一度会えませんか?] 颯斗だった。とくん、と心臓が大きく脈打つ。 [久しぶり。ごめん、東京にいるの。] 会いたいという気持ちと裏腹に咄嗟にそう返事してしまう。 [頑張ってるんだね。行っていいかな。] [ごめん。会いたくない。] [もう遅いと思うけど、桃香に謝りたい。] [謝ってもらうことなんてないよ。] [そんなことない。ずっと忘れられないから。お願い。] [わかった。バイト先、ここだから。ここにきて。] そう承諾して、地図を送る。謝るのはこっちだよ、そう思いながらその日を待つ。それから3日後、颯斗から今日店に来ると連絡があった。いつもより少し気合を入れて用意してしまう。もう好きなんかじゃないのに、謝るだけなのに。 カラカラカラとドアが開く。颯斗だった。8年も会っていない間にあどけなさは抜けて大人っぽくなっていた。 「桃香、久しぶり。」 「うん。ありがとうねわざわざ。」 「こちらこそ。いいお店だね。」 少し会話をしている間にマスターがコーヒーとアップルパイをもっときて「ごゆっくり。」と声をかけてくれた。 「あ、颯斗コーヒーだめだったよね。」 「いや、もう飲めるよ。何なら好きだよ。」 とにこりと笑う颯斗。もうあの頃の颯斗じゃない。お互い大人になったんだと胸が少し苦しくなる。アップルパイを一口食べて颯斗はふわりと微笑んだ。 「これ、すごく美味しい。」 「でしょ。私もアップルパイが1番好き。」 こんなふうに会話を交わすうちに少しずつ緊張が解けてきた。 「桃香、俺さずっと桃香のこと忘れられなかった。卒業式のときつらく当たってほんとにごめん。ずっと後悔してた。」 桃香の視界がなぜか溢れてくる涙で滲む。昔、桃華が泣いたときには何も考えずに抱きしめて泣き止むまで隣でいてくれたことがあった。でも、高校、大学とそれぞれ異性と関わる中でその距離感は恋人以外にはしないものだと学んでいた。 「颯斗は悪くないよ。私が颯斗の気持ち考えられなかったから。」 「違うそれは。俺実はあの時…」 そう颯斗はあの日のことを話し始めた。
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