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翔太と離れて数分後、真っ直ぐ家に帰った俺は合鍵で扉を開け、「ただいま」と呟くような声で暗い玄関に声を掛けた。
「おかえり……遅かったね」
リビングから聞こえた透き通る声が心地よく俺の耳を擽ると、廊下とリビングの間にある扉から哀がひょっこりと顔を出す。
「まぁな……ちょっと色々あって」
「へぇー、もしかして翔太さん?」
言葉を濁す俺に興味を抱いたのが、彼女は長く綺麗な髪を靡かせて歩み寄ると、瞳の奥を探るように覗き込む。
「……あぁ」
まだ高校生で、はたまた義妹といえど、きっとこんな挑発的な仕草されて落ちない男は十中八九いないだろう。
──せいぜい俺が翔太オンリーなのに感謝すると良い。
心の中で悪態をついた俺は哀を避けて自室へ向かうために歩き出すと、彼女は俺を引き止めるように行手を阻む。
「邪魔」
「わざとだよ」
「何の真似だ?」
「お兄ちゃんに話があるの」
飄々と言って寄越した哀の瞳が妖しく輝き、俺は反射的に喉をゴクリと鳴らして狼狽える。
「話ってなんだよ……今日は疲れてるから後に」
「今じゃないと駄目なんだけど」
ふふふっ……と不敵に笑う彼女は悪戯っぽく俺のすぐ足元まで一歩詰め寄ると、フランス人形みたいに整った顔立ちが俺の視界を埋めた。
「ちょっ……馬鹿、危な……ッ」
慌てて背中を仰け反らせた俺は途端にバランスを崩して玄関のマットに尻餅をつくと、一緒に倒れ込んだ哀はそのまま馬乗りになって俺を見下げる。
「お兄ちゃんって、翔太さんのこと好きでしょ?」
彼女の艶やかな帳に囲われ、華々しいシャンプーの香りが俺を包みこむと、心臓が耳元で大きく爆ぜて騒ぎ出す。気が動転しているせいか視界まで回り出した俺は、否定する事すら出来ないまま瞬きを繰り返していた。
「否定しないんだぁ」
甘くしたたかな哀の声が頭に響き、鼠を狙う猫を彷彿させる視線に絡め取られた俺は、ひたすら彼女の傀儡として動きを止める。
「……もし私が神様で、お兄ちゃんと自分の体を入れ替えれるって言ったらどーする?」
「えっ……?」
「だ・か・ら……体を貸してあげよっか、って聞いてるの」
理解が追いつかないから言葉が出ないのか、言葉が出ないから理解が進まないのか──2人しかいない家の中で、時計の針が動く音だけが大きく響き渡った。
「揶揄うなよ」
弱々しく声を捻り出した俺は、あり得ない言葉で揺さぶりを掛けてくるタチの悪い義妹を退かそうと彼女の肩に手に手を伸ばす。
「揶揄ってなんかないよ」
その手を掴んで手繰り寄せた哀は鼻先が触れ合う距離まで顔を寄せて、内緒話を囁くように言葉を吐く。
「お兄ちゃん、キスしよ?」
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