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* * *
ドレス選びも三日目を迎えた。
その日は授業がなかったため、午前中から『梟の目』に向かったが。
「……あの、本当にごめんなさい。フィオリエ、優柔不断というか、わがままで。私も何か言えたらいいんですけど」
「難しいことだからねぇ。大丈夫。五日間通い詰めた子もいるよ」
ドレス室には窓がないから、時計を見ない限り、一体いまが何時なのかわからない。私がトイレのために外に出ると、窓の外は橙色で、呆然と立ち尽くしてしまった。そこで店主に声をかけられたのである。
家族連れが店から出ていくのが見えた。ちりりん、と鳴って、笑顔の一行は去っていく。きっといい写真が撮れたのだろう。母親に手をひかれる幼い女の子は満面の笑みを浮かべていた。
「そりゃあみんなもだけど、特に『花憑き』だと、こだわりたいだろうからねぇ」
そう言う店主に、私は頭を下げて、ドレス室に戻っていった。
ドレス室では、てっきりフィオリエがまだドレスに悩んでいると思っていた。しかし。
「フィオリエ?」
「……さすがに疲れちゃった」
彼女は椅子に座って溜息を吐いていた。アシスタントさんの姿はない、先程、少しやることがあるからと、部屋を出ていったままなのだろう。
私はテーブルを挟んでフィオリエの正面に座った。少し悩んだ果てに、潮時だと自らに言い聞かせた。
「フィオリエ……もう、やめにしない?」
どのドレスでもないのだ。これだけのドレスがあるのに、彼女のためのドレスは一つもなかったのだ。
フィオリエは俯いたままだった。彼女ももう、諦めを覚え始めていたのだろう。
一口だけ飲んだらしい紅茶に、彼女の寂しそうな顔が映っていた。
「……私の運命のドレスはなかったってことね」
ゆっくりと顔を上げれば、紫色の蕾が天を目指して伸びる。
「運命の王子様もいないし……そもそも私、お姫様じゃないし……あはは、いい歳して……まだこういうこと言っちゃうし」
さすがに気の毒に思えてきたが、私はかけるべき言葉が見つけられず、俯いてしまった。
煌びやかなドレスが並ぶ部屋。私達は決しておしゃれとは言えない服を着て、ただの少女のまま、沈黙に浸っていた。
現実。ドレスの輝きが、心なしか褪せているように見えた。夢も幻想も、おとぎ話のようなロマンチックな世界も、ない。
あるのは花だけ。フィオリエの頭にある蕾。私の胸の中にある見えない花だけ。
「シリアン、ごめん、お願いしていい? 店主さんに、撮影やっぱりやめますって。私、いまちょっと立てないかも」
やがてフィオリエがらしくない声で頼んでくる。私は静かに立ち上がった。
「シリアン」
背に声をかけられる。
「なんか……ごめんね。見たかったでしょ、私のドレス姿。私も……見せたかったな」
私は何も返さなかった。
少し安心していた。彼女のドレス姿を見ることがなくて。
……なかなかに、最低だと思う。
わがままなのはフィオリエじゃなくて、私なのかもしれない。
部屋を出て店主を探す。店主はカウンターにいて、私はおずおずと話を伝えた。
「本当にごめんなさい。こんなによくしてもらったのに……」
「いいや、気にすることないよ」
店主の笑顔に胸を締めつけられる。三日間も入り浸ってしまったのだ。しかもその間ずっとドレスを物色し続けて。と。
「……そういえば、アシスタントはそっちに?」
「いいえ、さっきいなかったみたいですけど」
「それじゃあ……いま、見せていないドレスを見せている頃だと思うよ?」
「――えっ?」
意味が分からなくて、私は目を丸くする。
見せていないドレス。ドレスはあそこにあるだけではなかったのか。
そもそもどうして最初から全て出さなかったのか。
「……相当悩んだ人にしか、出していないドレスがあってね」
私の心を見透かしたかのように店主は言う。視線をよそに投げ、苦笑いを浮かべていた。
「人によっては……気分を悪くしてしまうものだから」
「――シリアン! さっきのお願いは取り消し! 取り消しよっ!」
店の奥から、唐突にフィオリエの声が飛んでくる。
先程の様子からは考えられないほど、希望に満ちた声で、まるで魔法をかけられたお姫様のような喜びようだった。
「とってもいいドレス、持ってきてもらっちゃった! いい? あなたはそこにいて! 着付けてもらうから!」
見せていないドレスがあるからといっても、どうせ――一瞬だけ浮かんだ私の言葉は吹き飛ばされ、胸の中では期待と不安が渦巻いた。
一体どんな姿になるのか、という期待と。
ああ彼女がドレスを着てしまう、という不安で。
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