ツルクサ

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 学校では、いつもひとりでいた。  望んだわけじゃないけれど、自然とそうなってしまう。  たまに誰かが話しかけてくれても会話が続かない。 「えっ、この歌い手さん有名だよ。知らないの?」  クラスのみんなが夢中になっているアーティストを知らなかったとき、そう言って笑われた。今思うと、「うん、知らないから教えて」って言えばよかったのかもしれない。  だけどそのときのわたしは、馬鹿にされたと感じ、悔しさで頭がいっぱいでなにも言えなかった。口からあふれだしそうなイライラをおさえるのに必死だった。  わたしがふともらした感想を、人に「え、なんで?」とか、「それは違うでしょ」と軽く否定されただけで、崖から突き落とされるような恐怖感がこみあげてきた。  周りのちょっとした言葉で動揺してしまう。自分ではこの大げさな感情をどうにもできなかった。  そんなことを繰り返すうち、わたしは、だんだん人と話すのが怖くなってしまった。  ひとりでいいや。そう思うことにした。  幸い、グループからあぶれているからといって、いじめたりするような人はクラスにいない。家とは違って学校には怒鳴る人もいない。だったらいいじゃない、と思い込むことにした。  今日の授業は全て終わった。体育はなかったのに体力を消耗した気がするのは、いつものように頭のもやを振り払おうと格闘していたからだ。もやがかかったままだと、先生の言葉も授業の内容も全然頭に入ってこないので困る。  今度のテストもきっと悲惨な点数だろうな。お母さんはテストの結果には興味がないから、どうでもいいといえばいいのだけれど。この前、たまたま国語のテストの点がよかったとき、両親に見せてみても、「ふーん」で終わりだった。  教室の壁に貼ってある掃除当番表を見て、あっと思った。理科室の掃除担当にわたしの名前があったのだ。まだ学校は終わってない。早く終わらせて帰ろう。  理科室の扉を開けると誰もいなかった。  当番はあと三人いるはずだけれど、みんなサボりかな……と想っていると、机の下から誰かの頭がひょこっと出てきた。 「あっ、木下さん、来てくれたんだ」  わたしを見てうれしそうに話しかけてきたのは、園田さんだ。 「うん、当番だから」  答えながら掃除道具を取りに行く。  これまで園田さんと話したことはなかったけれど、なんとなく気になる人ではあった。彼女もわたしと同じように、ひとりでいることが多いから。  だけど、しばらく園田さんを見ていた結果、同じどころか、わたしとはまったく違うと気づいた。  園田さんは特定のグループに入ってはいないものの、明るくふんわりとした雰囲気の人だ。誰かにプリントを渡したりするときや、授業でグループワークをしたときに、誰にでも自然な笑顔で話しかけていた。 「こっちはまだ?」  わたしは、園田さんがいた場所の反対側を指さしてたずねる。 「うん、これからやるところ。ごみ少ないからすぐ終わりそうだよ」  園田さんは持っていたちりとりのゴミを捨てると、すぐに戻ってきてほうきでで掃きはじめた。まだやってこない当番のふたりに、「サボってる、最低」なんてことも言わなかった。  とがった話し方をしない園田さんに、わたしは安心感がわいてきた。話しかけられても、いつもより緊張せずに受け答えができている。  掃除を終えて道具を片付けようとしていたところに、先生がやってきた。特別教室の掃除はみんな手を抜きがちなので、見回っていたらしい。ここにわたしと園田さんしかいないのを見てとると、先生はがっかりしたような顔になったけれど、すぐに「ちょっと待ってて」と言い残して教室を出て行った。  なんだろうね、先生すごい勢いで走って行ったよね、なんて園田さんと他愛ない話をしながら手を洗っていると、先生はすぐに戻ってきた。 「掃除おつかれさま。これ飲んで。みんなには内緒ね」  手には紙パックのジュースが二本あった。職員室の冷蔵庫に入れっぱなしだったらしい。賞味期限は大丈夫だからね、と笑って言いながら、わたしたちにジュースを差し出した。 「じゃあ、飲んで帰ろっか」  あわただしく行ってしまった先生を見送ったあと、園田さんが椅子に座った。わたしもうなずいて隣に座る。 「わたしストロー刺すの苦手なんだよね。先の部分がへにょってなっちゃって」  言葉通りに、園田さんはちょっと苦戦しながらストローを刺した。 「わたしは紙パックの角を持たずに真ん中持っちゃって、ジュースが噴き出ちゃったことがあるよ」 「あるある!」  つられるように失敗談を話していると、お母さんに怒鳴られたことも思いだして、ちょっと心臓がヒヤッとしたけれど、園田さんが笑ってくれたことで悪い思い出じゃないような気になってきた。 「そういえば、わたしお菓子持ってるよ。朝、お隣のおばあちゃんがくれたんだ。食べよう」  園田さんが鞄の中から取り出したのは、クッキーが入った箱だった。 「わー、大きい」  個包装のお菓子が一、二枚出てくるのかと思ったら、大きめのクッキーが二十枚は入っていそうな箱だったので、びっくりして声が出た。 「えへへ、なんと箱まるごとです! 今日一日、先生に見つかったらどうしようってずっとドキドキしてたよー」 「するよね。見つからないでよかった」 「うん。食べよ食べよ……あれ?」  箱と一緒に一枚の紙が出てきていた。園田さんはそれを手に取り、「ああー」と声を上げた。 「あ、進路の……」  それはさっき配られたばかりの、進路希望調査票だった。  園田さんはまだ書き込まれていないそのプリントをじっと見つめながら言った。 「今週中に出さないといけないんだよね」 「うん……どうしようかな。決められそうにないよ」  わたしも同意する。決める、というより、考えたくなかった。学校はお金がかかる、という家での会話が思考を止めてしまう。もうどの進路も選びたくない、なんて思ってしまう。 「わかるよー。わたしも、勉強したいこととか、なりたいものとか、全然わかんないもん」  うんうんとうなずく園田さんは、どこか遠くを見るようなまなざしをして、言葉を続けた。 「とりあえず、できるだけ近くの公立がいいな。高校、お金かからないとこに行きたくて」と口にした後、彼女はあっ、と気まずそうな顔をしてうつむいてしまった。  もしかして園田さんも、うちみたいに「高校はお金がかかる」って文句を言われているのかな。  だとしたら、園田さんはわたしと同じタイプの人間だ。クラスにいる、「中学、高校、大学ってずーっと勉強しなきゃいけないなんて、つらすぎるよねー」なんて、大学に行けることを当たり前のように言っている人たちとは違うんだ。  わたしは胸がドキドキするのを感じつつ、口を開いた。 「うちもそうだよ」  園田さんが、ぱっと顔を上げる。 「えっ、木下さんも?」 「うん。家で高校の話すると、制服とか鞄とか、お金かかるって、文句言われるんだ。だから、わたしも公立で、近くの学校にすると思う」  普段なら、自分のことを話そうとは思わなかっただろう。ちょっとでも笑われたり、変な顔をされたら、またわけのわからない激しい恐怖におそわれてしまう。だけど園田さんもわたしと同じ立場なんだと知ってうれしくて、わたしは必死に言い切った。 「そうなんだ……」  園田さんの少しこわばった表情がほどけて、ゆっくりと笑顔になっていく。 「正直ね、お金のこととか言ったら、『なにそれ』って反応されるんじゃないかってびくびくしてたんだ。わかってくれる人がいるって、うれしいね」  わたしもだよ、園田さん。胸がいっぱいで声には出せなかったけれど、かわりにわたしは大きくうなずいた。  それからわたしたちは、先生が教室の鍵を閉めにやってくるまで、お菓子を食べて、少しずつ話をした。  お菓子は家でも食べたことがあるものだったけれど、園田さんと一緒だと、なぜか今までよりおいしく感じた。  お母さんの機嫌をそこねないように、と気を張っている必要がないからかな。まるではじめて味わうようなアーモンドの風味や、サクサクとした歯ざわりを楽しみながら、わたしは園田さんと何度も「おいしいね」と言い合った。  次の日、園田さんから話しかけてくれて、わたしたちは休み時間にも話をするようになった。廊下の片隅、誰かに話を聞かれないような場所で、ひそひそ話しては、笑いあう。 「木下さんのおうち、一軒家なんだ、いいね! うちはアパートの二階だから、音が響かないように気をつかうのが大変なんだ。古いからキッチンの床がミシミシ鳴るしねえ」 「うちも古いよー。古すぎて借りる人がいないから、家賃を安くしてくれたんだって。雨漏りするし、天井からネズミの足音が聞こえるくらい」 「へえー、ネズミ! わたし、野生のネズミって見たことない。ハムスターと同じ雰囲気かな?」 「わたしも見たことはないんだ。足音だけ」 「そっかあー。実物は見たいような見たくないような……。うちはね、ヤモリがよく侵入してくるよ。この間、お風呂にいてびっくりしちゃった」  貧乏自慢をしているわけでもなく、引け目を感じるわけでもなく、ごく普通に自分の家について話せる。  はじめての体験で、うれしかった。  まるで、どうせ誰にも見せられないからとあきらめて、くしゃくしゃに丸めて放り投げてあったメモを、そうっと優しく広げて、読んでもらっている。そんな気持ちになった。  園田さんと話をするたび、頭のもやが少し晴れていく気がした。  だけど、晴れるのは、少しだけ。  どんなに楽しく話せても、もやはまだ残っている。その理由は、うちの両親のことをうまく話せなかったからだと思う。いやな親、ひどい親。そういうイメージとはちょっと違う気もする。だけど、いい親とはとても言えない……。  園田さんはお母さんとふたり暮らしだ。お母さんが仕事から帰ってくる前に夕ご飯を作ったり、掃除をしたりするらしい。立派だ。  比べてわたしは、ご飯も作らなくていいし、掃除だってめったにしない。お母さんがやっているのを眺めているだけ。  楽な生活をしていられるのに親に文句を言う資格なんてわたしにはない。ないけれど、家にいると息苦しいのも確かだ。  そういう気持ちを、どうやったら心の中から取りだして言葉にできるのか、わたしにはわからなかった。
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