愛の交差

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 蓮がコンビニへ行くと、美沙は雑誌を立ち読みしていた。  美沙の家でよく見かけるファッション誌の今月号だった。  真剣に読み込む姿が可愛らしく、声をかけずに隣に立ち、興味のない料理本を開いて顔の前に持っていく。  先程のことなどすっかり忘れているのか、ゆっくりとページを捲っていく。  外見を気にしているのは知っていた。  メイクや服に気を遣うのは趣味だと思っていたが、蓮の容貌に釣り合うよう努力しているのだと判明してからは愛が強まった。  メイク道具を買う時、メイクをしている時、メイク後の顔、時間をかけて服を吟味する時、デートに着て来る服などすべてが愛おしい。  自分のために頑張ってくれている。  今、ファッション誌を真剣に読んでいる美沙を抱きしめたくなる。  そんなに頑張らなくてもいいよ、と以前伝えたが「あたしが嫌なの!」とムキになって言い返された。  そんな努力を知ってしまうと、自然と褒め言葉が増える。  褒められる美沙は満更でもないようで、にやけ顔を隠すように唇をきゅっと結ぶ。  絶対に結婚しようと決めた。  読みたい箇所は過ぎたのか、ページを捲る手が早くなる。  もういいか。 「美沙」  本を戻して名前を呼ぶと、美沙が振り向き、待ってましたと顔が綻んでいく。 「帰ろうか」 「うん」  ファッション誌を置き、蓮と手を繋いでコンビニを出る。  幅広い歩道を真っ直ぐ進み、街灯の明かりを頼りに最寄駅を目指す。  午前中に話し合いをした方が、早く帰れていた。気持ちを整理する時間が必要だからと智之が午後を提案したのだった。  美沙の中で智之の顔が浮かび上がったため、急いで消し飛ばす。  もうあんなおっさんに触ることも、触られることもない。  これからはずっと蓮だけだ。  肩の荷が下りた気分だ。  美沙よりも高い位置にある蓮の顔を見上げると、いつも以上にきらきら輝いている。もっとくっ付きたい欲求が起き上がり、繋いだ手を解き、蓮の腕に自分の腕を絡めてぴったりと体を寄せる。 「寒い?」 「ううん」  ぎゅっとくっ付いて離れない美沙の体温が服越しに伝わる。 「あたしは、蓮が一番好きだからね」 「これからも?」 「これからも!」  誤解がないように、昨夜から口にしている。  分かったから、と苦笑して美沙の頭にぽんぽんと手を置く。  上機嫌な美沙を見下ろし、ふっと口角が上がってしまう。  琴音の家には、近付かないようにしていた。近付きたくなかったからだ。  それ故、この近辺のことは疎い。土地勘がない。それなのに何故、美沙がいるコンビニにたどり着いたのか。  琴音の家の近くにコンビニはいくつもある。美沙は、ここにいるよ、と現在地を蓮に送っていない。それでも蓮は美沙の居場所が分かった。  美沙の携帯にGPSを入れていたからだ。  きっと本人は気づいていない。琴音が智之の携帯にGPSを仕掛けたように、蓮も美沙に同じことをしていた。  仕掛けたのは交際を初めてすぐだった。  美沙が初恋である蓮は、初めての感情にどうすればいいか分からなかった。  何をしているのか、どこにいるのか、毎秒気になってしまう。解消すべく、美沙が携帯を置いて離れている間に、GPSを仕掛けた。  そうすると、今度は誰と何をしているのか気になった。解消すべく、盗聴器を仕掛けた。  探偵を雇って、美沙のことを調べさせたこともある。探偵を使ったのは初めてであったが、便利なものだ。美沙の生い立ちから交友関係、すべて把握している。  だから美沙の浮気は、初めから知っていた。  復讐の件も、何もかも。  知っていて、知らない振りをした。  そこを突けば別れが訪れると知っていたから。  心底嫌で吐き気がしたけど、終われば戻ってくると確信していたから放っておいた。  どう考えても、三十半ばの小汚い男より、自分の方が何倍も勝っている。卑屈にはならなかった。  何も知らない顔で、美沙と笑っていた。  それも、今日でお終いだ。  やっと戻って来た。  あとは琴音が精神を病んでくれたら、美沙の復讐に花を添えることができる。  慰謝料なんて琴音の旦那を脅せば、ないも同然。職場にバラされたくなければ、とか言えばなんとかなるだろう。  琴音の旦那も地獄に堕ちてほしいが、やりようはいくらでもある。急ぐ必要はない。 「夕飯どうする?」 「美沙は何が食べたい?」 「うーん、特にない」 「俺も」 「コンビニで買って帰ろうか」 「そうしよう。ある意味お祝いだから、酒も買おう」 「いいね!じゃあ、スルメイカも買うー」 「なんでスルメイカ」 「美味しいじゃん。おつまみはスルメイカ一択だよ」  他愛もない話をしながら、何も知らない美沙は無邪気に笑っている。  戻ってくればそれでいい。  寄り道しようが、味見しようが、すぐに戻ってくるのなら許そう。 「今度久しぶりにレンタルショップ行こうよ!」 「いいね。何の映画観る?」 「サスペンスがいいなー」 「じゃあ次の休みにでも行こう」 「そうしよう!」  美沙は最近流行りの曲を鼻歌で歌い、蓮にすり寄る。  早く結婚しよう。蓮は、そう決めて頬を緩めた。  翌日、迅を迎えに来ない琴音を不審に思った琴音の両親が家に行くと、血まみれになり倒れている智之と、首を吊っている琴音を発見した。  既に死亡しており、智之を刺した包丁と、琴音が首吊りに使用した紐状から琴音の指紋が検出された。度を超えた痴話喧嘩により、琴音が智之を刺殺。罪悪感により自ら首を吊ったため、事件性はないと結論付けられた。  両親から二人の訃報を受け、その日の内に蓮は美沙の前で跪きプロポーズをした。 「お、お姉さん、死んだのに…?」  蓮の姉が死亡したと今聞いたばかりだ。  にやけそうになる口元を手で覆いながら、本当にいいのかと問う。 「邪魔者はいない。美沙の復讐も、最高の形で終わった。身内が死んだから暫くは葬儀とかがあるだろうけど、俺は今すぐにでも結婚したいくらいだ」  上目遣いでそう言われ、口元だけを覆っていた手は顔全体を覆った。 「それで、結婚してくれる?」  美沙は大きく首を縦に振り、嬉し涙を流した。  次の休日に指輪を買いに行こう、と蓮は照れながら告げ、二人は幸せをかみしめた。  漸く二人は何のしがらみもない愛を得て、今後について語るべく顔を寄せ合った。
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