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「ちょっと汚い所だが、我慢してくれ」
監視カメラ対策のためなのだろうか、別の車に乗り換えたり歩かされたりしてやっとたどり着いたのは下町の小さな家だった。
「あんたが大人しくしていれば無事に家に帰してやる」
車を運転してきた男がサングラスを外して雪美を見た。
雪美は男の素顔を見てはいけないような気がしてすぐに目を逸らした。
「しっかり見張ってろよ」
車で雪美の隣に座っていた男にぶしつけに言うと、サングラスを手にした男は部屋を出ていった。
「君、森口雪美さん?」
部屋に残った男が尋ねた。
雪美は初めてその男の声を聞いた。優しい声だと思った。
「そうです」
雪美は小声で応えた。
乱暴な事はされそうにない。だけどまだ体の中に恐怖心が残っている。
「間違いないな。人違いだったら困るから。お前たち高校生は皆同じような姿で区別がつかねえ」
そのぞんざいな言い草に怒りが込み上げてきた。
何よ、こいつ。男の声が優しいと思った自分にも腹が立った。
「ま、一週間くらいの辛抱だから」
「あの、私、誘拐されたんですか?」
「そうだ」
男は素っ気無く言った。
何だこいつ。雪美はまたムカついた。
だが、横柄な態度のわりに体つきは軟弱そうだ。隙を見て何とか逃げ出せるかもしれない。よく見ると良い顔をしているけど、その顔にカバンでガツンと一発お見舞いして・・・・
「おい、変な考えは起こすなよ。俺たちのやり方を教えてやる。お前が逃げたり、あるいは身代金の受け渡しに失敗したり、無事にお前が家に帰れたとしても、その後で俺たちのことを喋ったり誰か仲間が捕まったりすれば、お前の家族は残った仲間により必ず報復される。かといって殺したりはしない。殺してしまえばそれで終わりだ。一生笑うことのできない生活に陥れてやる。そして俺たちに怯えながら死ぬまで後悔して生きていく。わかるな?」
雪美は怯えた目で男を見た。
「わかったのなら返事をしろ。わからないのならわかりませんと言ってみろ」
「わ、わかりました」
男は雪美のカバンを開けて逆さまにした。
絨毯のないむき出しの床にバラバラと教科書やノート、筆記用具が落ちた。
「だから俺たちはお前を殺さない。俺たちは顔を隠さないし、この家の場所もお前は知ってる。でも俺たちはお前をそのまま帰す。金が払われたらだがな。もし俺たちのことを少しでも喋ったら家族はバラバラになり、お前はその顔に醜い傷を負って生きていくことになる」
そう言いながら男は床に散らばった物の中からスマホを取り上げた。
「こいつは帰るときまで預かっておく。言うことを聞いて大人しくしていればひどいことはしない」
男は最後に優しい口調になって言った。
雪美は悲しくて仕方がなかった。目じりに涙が湧きでてくる。だが男にそれを見られるのが癪で顔をそむけた。
楽しいはずの週末がこんなになるなんて。
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