20人が本棚に入れています
本棚に追加
息子
それより数年後、二回目の受胎告知は駐在中のベトナムで、娘によってもたらされた。
「ママぁ、今ね、コウノトリさんが赤ちゃんを落っことしに来たよ」
真夜中十二時をまわったころだったか。突然の声に飛び上がって階段を見やると、寝間着を着た娘が夢遊病ハイジそっくりな無表情でうつろに虚空を見つめている。ぎゃあっ。
その姿はまさに座敷童だった。言うべきことを言い終えた市松人形さながらのおかっぱが、ぴたぴた、ぴた、薄暗い階段を上る。我に返って後を追ってみれば、当人はもうベッドの上で寝息をたてていた。
翌朝になって娘を問い正すがなに一つ覚えていない。はたして試薬は陽性。なるほど今回はこうきたか。こうして私はめでたく片道三時間かけてホーチミンの病院まで通う日々となった。
ただし二度目の妊娠は一度目を帳消しにするほど、終始トラブル続きだった。
当時すでに丸高(高齢出産者)だった私の胎児はダウン症リスク値が高く、まずは連日連夜、鳴り止まない電話に苦慮した。
「帰国して精密検査を受けたら?」
最初のコメントを投稿しよう!