息子

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息子

 それより数年後、二回目の受胎告知は駐在中のベトナムで、娘によってもたらされた。 「ママぁ、今ね、コウノトリさんが赤ちゃんを落っことしに来たよ」  真夜中十二時をまわったころだったか。突然の声に飛び上がって階段を見やると、寝間着を着た娘が夢遊病ハイジそっくりな無表情でうつろに()(くう)を見つめている。ぎゃあっ。  その姿はまさに()(しき)(わらし)だった。言うべきことを言い終えた市松人形さながらのおかっぱが、ぴたぴた、ぴた、(うす)暗い階段を上る。我に返って後を追ってみれば、当人はもうベッドの上で寝息をたてていた。  翌朝になって娘を問い正すがなに一つ覚えていない。はたして試薬は陽性。なるほど今回はこうきたか。こうして私はめでたく片道三時間かけてホーチミンの病院まで通う日々となった。  ただし二度目の妊娠は一度目を帳消(ちようけ)しにするほど、終始トラブル続きだった。  当時すでに丸高(マルコウ)(高齢出産者)だった私の胎児はダウン症リスク値が高く、まずは連日連夜、鳴り止まない電話に()(りよ)した。 「帰国して精密検査を受けたら?」
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