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オーヴェレームの首都カーメル。レオニーが暮らすこの街は、繊維の都と呼ばれている。
国土も軍事力も小さなオーヴェレームを支えている一大産業が繊維業だ。運河に沿った街並みには仕立屋、生地屋、生糸屋がいくつも軒を連ね、この街が産む上質の布や糸を求めて、国外からも多くの商人がやってくる。
レオニーが昨年、祖母から受け継いだ店は、目抜き通りから一角進んだ小さな路地の途中にある。
「――え?」
作業場と住居を兼ねる建物を目にすると同時に、レオニーは思わず声を上げた。
見慣れた家の前に、このあたりではまず見かけない人間が立ち尽くしていたのである。
若草色の軍服に、深い緑のマント。すらりと背の高い彼は、どう見ても商人や職人ではない。
軍人――それも、着ているものの質からして、一兵卒ではない高位の人間だ。
「あの、店に何かご用ですか?」
レオニーは努めて穏やかに、男に声をかけた。
刺繍の客だとは思えないが、店主として邪険にするわけにもいかない。
振り向いてレオニーを見下ろした男は、三十歳にはまだ達していないだろうか。武器を使う仕事には似合わず、繊細な顔だちの青年だった。白金の髪と澄んだ緑の瞳が暗い色のマントによく映えている。
「きみは、この店の縫子か」
青年が尋ねた。
「店主のレオニー・クラウフェルトです。店のことでご用件でしたら中で伺いますが」
「店主……アンネマリー・クラウフェルト殿は?」
「アンネマリーはわたしの祖母です。職人仕事は去年で引退して、今は店の経営を手伝ってくれていますけど――」
「引退? いや、しかし、店にはおられるのだな」
青年はレオニーの言葉に過敏に反応したかと思うと、たたみかけるように確認した。
どうも切迫している。レオニーではなく祖母に用があるのはともかく、刺繍を注文しにきた雰囲気ではない。
そもそも、こんな質のいいマントを身につけた軍人が、市井の刺繍屋に何の用だ。
「近衛騎士団のマリヌス・ヴィレムセン。アンネマリー・クラウフェルト殿に、刺繍を使った魔術を依頼しにきた」
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