18

2/5
8人が本棚に入れています
本棚に追加
/57ページ
 鷹が飛んだ 鷹が消えた  針で刺したらいなくなった  鷹がとまった 鷹が消えた  糸に隠れていなくなった  レオニーはかたわらに置いた赤の糸を手に取り、端を引き出した。ヨリックが差し出した手首にそれを巻きつけると、部屋の隅でマリヌスが息を呑む気配がした。  失敗したらどうなるのか、ということを何度もしつこく確認してきたのはマリヌスだったが、レオニーもアンネマリーもそれに答えることはできなかった。レオニーはこれがはじめてだし、アンネマリーも三十年前に一度だけ行ったきりなのだ。  ヨリックにそんな危険な橋を渡らせることをマリヌスは当然ためらったし、彼の同志たちの間でも別の方法を探してはどうかという話が出たようだが、最終的に同意したのはヨリック本人だった。  赤の糸をヨリックの手首に巻きつけ、もう片方の糸先を針に通すと、レオニーは膝に置いていた布を手に取った。アンネマリーから渡された糸とは違い、布のほうは以前から作業部屋にあったごくありふれた生成りのものだ。ちょうどレオニーの膝を覆うくらいの大きさで、すでに中心部を刺繍枠に嵌め込んである。  枠の中にはチャコで羽を広げた鷹が描かれていた。王家の紋章とそっくり同じ構図のそれを描いたのはヨリックだ。魔術を使うにあたってこの絵を描くのは誰でも良かったらしいが、ヨリックは少しでも自分で何かをしたいと買って出てくれた。  その鷹の羽の先に、レオニーは針を刺した。  最初の一針が重要だ。何しろ、この刺繍は完成まで糸を切ることができない。片方の端をヨリックの手首に巻きつけたまますべてを刺し終わらなければならないので、一針目で引き出した糸の長さが全体の出来を左右する。  レオニーは目測であたりをつけたところで手を止め、次の一針を布の下から刺した。一枚ずつ、鷹の羽が布の上にできあがっていく。  鷹が飛んだ 鷹が消えた  不意に歌声が聞こえ、レオニーは針から目を上げた。  ヨリックが手首に糸を巻きつけたまま、はにかんだように笑ってレオニーを見た。 「さっき、アンネマリーが教えてくれた。歌っていれば怖い思いが薄れるかもしれないと」  アンネマリーはこの部屋にはいない。レオニーは側にいて見守っていてほしかったのだが、見ていても手を貸すことはできないからと言い、かわりに急な来客が入ってくることがないように店を見張ってくれることを選んだ。  ヨリックがマリヌスに連れられて来た時、ふたりで短い会話を交わしているのは見たが、そんな助言を与えていたのか。
/57ページ

最初のコメントを投稿しよう!