五 「人と人とがふれあえば、情ってもんが生まれるんだよ」43

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五 「人と人とがふれあえば、情ってもんが生まれるんだよ」43

 彼女は目に涙を浮かべて、心配をかけてすみません。と何度も謝り続けた。 「もういいんだ。もう気持ちを隠さなくていいんだよ。それよりよかった。ほんとうによかった」  と神崎さんが言ったとき、この数日の間、私は不思議と彼の声を聞いていなかったような気がした。  そうか、彼はずっと心配をしていたんだ。社交的な彼が無口になるくらい心配していたんだ。今まで通り、彼女に窮屈(きゅうくつ)さを感じさせないように、がまんして見守っていたんだ。愛しているが(ゆえ)になせる包容力だ。彼が彼女のことを、本当に深く愛していることが伝わって来た。  私は椎名先生に支えられて、彼女は神崎さんに支えられて、旅館に戻った。受付で部屋を変更してもらった。彼女と椎名先生と私は同じ部屋に泊まることになり、神崎さんは一人で別の部屋に泊まることになった。あれだけ感情を(あら)わにして失態を見せてしまったのに椎名先生が配慮してくれた。夕食はみんなで一緒に食べようということになった。  大事なことを忘れてはいけない。私は美智子さんと杉田さんに彼女を見つけたことを報告した。 「よかったよ。ほんとにもう」  美智子さんは涙ながらの声で安堵(あんど)していた。 「そうか、やっぱりな。見つけてくれてありがとう。安心したよ」  杉田さんからは穏やかに、そして冷静な口調でお礼を言われた。  温泉は三人で入浴することにした。  こんな場合、男は損をするものだ。神崎さんは食事以外ずっとひとりで過ごすことになる。 「ごめんね、一人にして」と気遣ったのだが、「いや、今日はひとりになって考えたいこともあるから、気にしないで」と神崎さんは笑顔を向けた。やせ我慢だろうかと思いつつも、神崎さんの心使いに甘えさせてもらった。二人で話し合いたいこともあるだろうけど、そこは帰ってからにしていただこう。  夜は布団を並べて寝ることにした。彼女は真ん中だ。椎名先生が()しなに彼女に一人で飛び出した理由を訊ねた。椎名先生が話していたとおり、彼女はみんなを巻き込んで、(わざわ)いがふりかかることを恐れて、距離をとったことを打ち明けた。  彼女は与えられる愛情を望んだのではなく、与える愛情を選んだのでもなく、閉ざす心を持ち得たのかもしれない。彼女にとって大切で愛する人たちを守るために。それもわかる気がした。  椎名先生は彼女に二つのことを伝えた。  一つ目は、今度は私を誘って温泉に来ること。  二つ目は、明日、美智子さんに心配させたことをちゃんと謝ること。 「わかりました」  彼女は素直に返事をした。
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