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三 「君がそこまでいうのなら」33
杉田さんは話を続けた。
人事の辞令は早かった。異動日は引っ越しになることを考慮されて一月後でした。その日、私は早く家に帰り、妻に異動の話を伝えました。
「私は一緒に行きませんから」
妻の第一声は早かった。まるで台本でも用意していた感じで、感情のない棒読みの科白だけが耳に届きました。
「迷惑をかけるね」と私は謝りましたが、妻が背を向けて部屋を出て行く際、「失敗したわ。選択ミスか」と言ったのです。「ミス」という軽い言葉がいつまでも耳に残っていました。私の存在がとても薄っぺらで無価値な存在でしかないと思い知らされた言葉です。ドアが閉まると、暗闇が私の顔面を覆いました。
転勤は単身赴任ということになりました。転勤までの間だ、数回、妻と話をしましたが、妻の意思は固かった。
理由はひとつです。妻が私を選んだのは、同期でも出世するだろうと目星をつけていた内のひとりだからです。夫の出世が生活のステイタスであり、近所や世間の目こそが妻のスポットライトになっていた。
簡単に言えば見栄っ張りなんです。
ほんとは気づいていました。妻は私を見ているのではなく、会社でのポスト、肩書きしか見ていないことを。
妻の励ましは、いつも競争でした。と杉田さんは疲れた声で告白した。
「お疲れ様」、「ご苦労様」といった労いの言葉は一度も聞いたことがない。
「負けないでね」、「今度の企画は成功させてね」、「今ががんばりどころよ」、「昇格も間近、踏ん張りどころ、挫けないでよ」と、必ず第三コーナーで鞭を打たれている競走馬のような気分でした。毎日、家に帰ることが息苦しくなりました。
妻は左遷された夫に興味なし。給料が下がり、不満と愚痴が続き、叱責にはとげとげしさが増していく。神経がすり減りました。義務感だけで会話をすることが苦痛になしました。帰宅途中で、ふとこのままどこかへ行きたくなる衝動に駆られたことも度々ありました。その度に娘の顔が浮かびました。実際、娘のことがありましたから、離婚は回避したいと考えていました。
当時は素直に妻の要望に同調する気になりませんでした。でもね、日が経つにつれ娘の目も白眼視されてくる。おそらく妻から私の悪口を聞き続けていたのでしょう。私の電話にも出ようとはしませんでした。夫婦関係を維持する意味が失われたのです。異動とともに私の存在は家族から抹消されました。杉田さんは極度の疲労感を吐き出すように息を漏らした。
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