四 「一緒にいられることが楽しい」11

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四 「一緒にいられることが楽しい」11

 彼が彼女をいろんな場所に連れ出そうとする。彼女は彼の誘いを受けることもあれば、きっぱり断ることもあった。彼女に断られたとき、彼はあっさり誘いを引っ込め、彼女に笑顔を向けた。けっして彼女を批判することも、文句を並べることもせず、 「次は期待して」、「じゃあまた次回に」、「気が向けばお願いします」と次につながる言葉を付け足した。  彼女は杉田さんに相談した。 「社交的に生きてきた人と並んで生きていく自分を想像すると、まぶしすぎて、照れくさくて、恥ずかしくて、戸惑って、ひそやかな心細さが顔をのぞき、思わず立ち止まってしまいます」 「君はどうしてそんなに狭い世界に閉じこもっていようとするの。もっと自分の景色を広めようとしてもいいじゃないか。景色を広めれば、五感が揺さぶられる気持ちを体感できることもあるんだよ。君は、本当は感受性の高い人間なんだから。無理しない程度に体験してみれば。でも、もし、嫌な思いが先行(せんこう)するときはやめればいい。僕は彼が悪い人とは思えないけど。直接、会って話したことはないが、実意のある人ではないかな。なぜかそんな気がする」  杉田さんは彼女の背中を押すような言葉を伝えた。  彼女は自分の幸せを、杉田さんは彼女に幸せを、二人が同じ幸せを模索(もさく)しているような気がする。  私は、彼女と杉田さんから、(たましい)が共鳴しあっているような感じを受けた。  これを家族愛というのだろうか。  二人の間には確かな絆が存在する。  純粋で尊い絆が存在している気がしたのだ。絆は愛だけではない。互いを守り合い、支え合う使命かなのしれない。  杉田さんが告白したことを考えれば、互いに好きな人や恋人ができたとしても別れることにならない家族愛。夫婦はもともと他人と表現する人もいるが、表面的な家族関係ではなく、内面的な、精神的なものから生み出される魂の家族と言っていいのかもしれない。戸籍上でもなく、血縁でもなく、家族のつながりが存在する。そうだとすれば、尊い二人の関係を乗り越えられる思いを、彼は持ち得たのだろうか。傷つくこともなく、打ちのめされるでもなく、嫉妬するでもなく、彼は彼女を愛することに、ためらいもなく心に思い続けられたのだろうか。彼はどんな人なんだろうと素直に興味が湧いた。見知らぬ人なのに、彼という存在に惹かれていく。  最後に、私は彼の名前を訊ねた。  あなたなら最後まで調べるでしょうね。と彼女が前置きを言った。てっきり彼女が打ち明けてくれるものと思い込んだ。でも、彼女は名前を教えてくれなかった。おそらく杉田さんのときと同じように悪い噂が広まり、あらぬ悪評に尾ひれがついて、自分のみならず相手の方も傷つくことになりかねない。見えない敵を恐れているのだろう。誰しも恋人を守りたいという気持ちはわかる。私は味方だと言っても、警戒すべき感情は理解できる。私はそれ以上突っ込んで聞くことができなかった。私はお礼を述べて彼女の部屋をあとにした。
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