四 「一緒にいられることが楽しい」12

1/1
前へ
/185ページ
次へ

四 「一緒にいられることが楽しい」12

 彼についての情報がまったくなかった。彼女は答えてくれない。当然、杉田さんも教えてくれないだろう。どうやって調べればいいのか、八方塞(はっぽうふさ)がりで思い浮かばない。まるで見知らぬ街で方角もわからず囲繞地(いにょうち)に紛れ込んだ気分だ。出口が見えてこない。なにかきっかけになる噂でも聞こえてくれば別だけれど。噂、噂、噂と口に出して繰り返していたとき、ふと思いついた。噂の出所は井戸端会議からが多い。井戸端会議と言えば、炊事場での何気ない会話だ。そうか、もう一度、三人の元同僚から情報収集をすれば、なにか噂話が聞けるかもしれない。でも三人をまた誘うのも不自然に思われる。三人の中で情報通といえば、下坂さんだ。  私はさっそく下坂さんに会いに行った。偶然を装い、職場外にいる彼女を見つける。会社の中とはいえ、偶然に出会うことは簡単ではなかった。何度も炊事場辺りを通り過ぎる。ときには下坂さんの職場付近まで足を運ぶ。やっと出会うタイミングがきた。炊事場で洗い物をしている人のうしろで、下坂さんが壁に背を預けてなにやら会話をしている。 「あら、先日はありがとうございました」と私が何食わぬ顔をして声をかける。下坂さんが振り向いた。二人で世間話をしながら、三田さんのことで、最近雰囲気が変わったと言っていたことを思い出させた。心当たりはありますかの問いに、噂話を聞いたことがあるけど、ガセネタだと言った。  この際、どんな情報でもいいから聞きたい。私は下坂さんの情報に食いついた。神崎(かんざき)章吾(しょうご)さんが彼女に気があるようだ。という噂を聞いたことがあるらしい。  しかし、噂の男性は、とても社交的で、明るく、飲み会で彼が参加すると(はな)やぐという。同じメンバーでも彼が参加するのと参加しないのとでは雰囲気がまったく違うのだ。場を盛り上げる中心人物。話題も豊富で、飲み会のときには仕事の話などせずに場をつなげることができる。  ただ、女性関係では一時期悪い噂もあったらしい。結婚しない男。そばにいる女性が毎回違う。女性関係は派手かも。なのに女性関係でトラブルになった噂は流れていない。不思議な人かもしれないという。一時(いっとき)、彼が彼女とのことで噂になりかけたが、誰も信じなかった。二人のタイプがかけ離れているからだ。社交的な彼が彼女に好意を寄せるとは思えない。そこまで女性に不自由しているとは思えない。ガセでしょ、ガセ。と結論づけて、噂はすぐに消滅したという。  私は神崎章吾という名前を覚えて立ち去った。
/185ページ

最初のコメントを投稿しよう!

93人が本棚に入れています
本棚に追加