四 「一緒にいられることが楽しい」18

1/1
前へ
/185ページ
次へ

四 「一緒にいられることが楽しい」18

 彼は昭和五十七年に生まれた。母親はシングルマザーだ。五歳の頃、母親と遊園地に行き、沢山の乗り物を楽しんで、夕方近く、食べ物を食べてる最中に母親が席を離れる。彼は日が暮れてもテーブルの前を離れず、一人で母親を待ち続けた。彼に声をかけたのは遊園地の守衛さんだ。その場を離れたくないと泣き叫んでも大人たちの力で事務所に連れて行かれた。一人、二人と彼の前に怖い顔をした大人たちが集まってくる。中腰になって、顔を近づけて、いろいろ質問をされる。名前は、どこから来たの、誰と来たの。彼は、名前、母親、電車、と答えることで精一杯。駅名を訊ねられても、住所を訊ねられても、電話番号を訊ねられても、答えられない。顔を近づけてくる大人たちと同じように首を傾げることしかできなかった。時間が経つにつれ、迷子でないことが判明する。彼は生みの親に捨てられたのだ。  彼は施設に入ることになる。馴染めない環境で誰とも口をきかなかったらしい。  小学校二年生になるとき、彼は里親に引き取られることになった。夫婦には子供がいなかった。大切に育てられたという。とてもいいことだと思った。  しかし、彼が大学三年生のとき、育ての親が交通事故で二人とも亡くなった。一瞬で家族が消える恐怖が彼を取り巻いた。葬式のとき、見知らぬ親戚たちが現れて、親戚同士で財産分与について言い争いが続いた。彼は、はなから除外された。 「今まで、(えん)もゆかりもない赤の他人を成人するまで育てたのだからもういいだろう。この家も処分する。卒業までの生活費をいくらか分けてやるから、それで出て行ってほしい」と睨みながら言われた。  葬式のあと、彼は封筒に入れられたお金と育ての親との写真だけを手にして育った家を出た。  彼は二度目の天涯孤独を味わうことになった。傷を癒やす間もなかった。育ての親が待ち望んでいた卒業だけはがんばって成し遂げたいという意思を持ち続けた。友人たちのはげましもあり、アルバイトで食いつなぎながら卒業することができた。  しかし、二度も家族の消滅を経験し、彼は生きる意味がわからなくなっていた。
/185ページ

最初のコメントを投稿しよう!

93人が本棚に入れています
本棚に追加