四 「一緒にいられることが楽しい」20

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四 「一緒にいられることが楽しい」20

 彼は彼女との出会いから想い出について語り始めた。  彼が異動した朝、就業時間ぎりぎりに出勤した。まっすぐ課長の席まで行き、あいさつをする。振り返って同僚にもあいさつをする。課長に自分のデスクを示されて席に着く。彼女がお茶を()れてくれた。地味な人だが、なぜかわからないが、以前から知り合いのような感覚を覚え、懐かしい気持ちを抱いたという。不思議に思って、彼女の顔や服装をもう一度視界に入れた。目立つ服装をしているでもなく、化粧をばっちりしているわけでもなく、イヤリングなど飾り物をしているのでもない。それなのに、目を惹かれる気がした。一目惚れとは違う感覚だと思った。そもそも一目惚れは恋を経験した人に起こりえることだと彼は考えていた。経験があるがゆえに起こりえる感性だと思っていたのだ。だから、どうして自分が心を揺さぶられたのか、原因がわからず、戸惑いも覚えたという。  彼はそこで話を変えた。  僕には故郷なんかありません。強いていえば、心許せる人の存在こそが僕のふるさとなんです。場所ではありません。幼き頃から家族を失い続けた結果、場所ではなく、人なんだと、求める人が永久の故郷なんだと思えるようになってしまったのかもしれない。故郷を求めるがゆえに、いろんな女性と出会った。出会う機会を求めた。どの人も僕の求める人ではなかった。空想、想像、思考、実態のない世界にしか、僕が求める人はいないんだとあきらめかけていたときのことです。  周りの人は僕のことを、とても社交的で、明るくて、活発で、と評価をしているけど、違います。勘違いをしています。僕はそんな見栄えのいい人間ではありません。  ある人が僕に言ったことがります。君が飲み会に参加すると雰囲気が華やぐと。職場の飲み会では愚痴の多い飲み会になりがちだ。でも君は職場の話題や仕事の愚痴を飲み会の場では話さない。いろんなネタをギャグにして場をわかす。賑わいがお似合いの男だ。周囲でも評判だよ。とね。  でもね、僕は社交的な自分を作ってきたのです。最初は寂しさ紛れに明るさを演じていたこともありました。人が集まってくれるのは、賑やかだし、楽しさも倍増する。僕は飲み会に出るとき、人一倍パワーがいるんです。飲み会のあと、自分の部屋に帰るとぐったりします。強がって生きている自分に疲れを感じます。自分の性格に嫌気がさすときだってあります。賑やかさの潮が引いてしまうと、寂しさの反動は大きいですからね。その落差が嫌になるときもある。葛藤(かっとう)を繰り返しながらもどうすることもできなかった。自然体の自分をさらけだすことが怖くてできなかった。培ってきた性格を今更変えられないとも思った。だから、せめて自宅にいるときは穏やかでいたい。静かに過ごしたい。心の安らぎがほしいと願っていたのです。
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