五 「人と人とがふれあえば、情ってもんが生まれるんだよ」5

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五 「人と人とがふれあえば、情ってもんが生まれるんだよ」5

「最近、世間が芸能ネタで不倫不倫と騒ぎすぎだと思いませんか。他人の家庭の問題なのに、周囲があまりにも騒ぎすぎです。一度も間違いをおかさない人なんて、この世に誰一人いないのに。反論できない人に対して、第三者が過敏に反応して、異常に批判や非難をしすぎですよ。当事者の方々は大変だろうけど、第三者が鬼の首を取ったように暴言にちかい言葉を吐きつけている気がして、火に油を注いで、余計に事態を悪化させていて、とても嫌な気分になります。誰もが聖人君子でいられるわけでもないのに」  彼女は芸能ネタをたとえ話にして、あの事件について、自分の主張を述べたかったのかもしれない。でも、テレビのない部屋で、よく芸能ネタを知っているものだ。  私は興味を持ってどうして芸能ネタに詳しいのかを彼女に訊いた。  電車通勤のとき、彼女は車内の中吊り広告を見て、雑誌の箇条書き広告から情報を得ていると説明し、彼女の持論を付け足した。 「最近は、『ゲス○○』とか『神○○』とか、究極の言葉を頻繁(ひんぱん)に使いすぎると思いませんか。やたらと耳にするので、昔と比べてランクが下がったような気がします。私たちも世間の風潮に巻き込まれた犠牲者だと思っています。だからといって、世間の風潮にならう気にはなれません。世間の偏見が怖いからと言って、美智子さんや杉田さんとの関係を手放す気はありませんので。私は第三者がどう思おうとも、自分の人間関係は自分で選択して、最後まで守りたいと思っています。あなたならどうしますか」  私もそのとおりだと彼女の考えに同意した。  過剰な反応と異常な非難。  糾弾、魔女裁判、見せしめがすぎる行為。  他人を非難して自らのストレスを発散する行為。  名も明かさず、姿も見せず、対岸の川岸から石を投げつけるような行為。  相手に非があれば自分はなにをしても(よし)とする身勝手な思い。身勝手と言えば、待機児童の問題もそうだ。総論賛成、自ら関わる各論反対。理論的には肯定されても、各自が関わる問題事には(わずら)わしさから否定して、自らの関わり合いを避けようとする。この殺伐(さつばつ)とした社会に息が詰まる。  今の世間には、寛容(かんよう)さが失われた。ぎすぎすして、重箱の隅をほじくることばかりが目立つ。暴力的な言葉が蔓延(はびこ)り、誰もがちょっとしたことで極端な言葉を簡単に口にする。天と地の間が狭くなったというか、間が無くなったというか、両極端がくっつきそうな感じです。過剰反応な体質に息苦しい空気が増幅する。非難や中傷が増えると創造性が失われていく。均質なことは個性を奪うことより大事なことなのか。様々な個性の人間が生きて行くには、とても生きにくい不寛容な社会になってきた。同じ日本人なら対立よりも理解を求め、それぞれの個性を認める社会になってほしい。というような内容を美智子さん流の口調で彼女に言ったそうである。  美智子さんの嘆きは理解できる。杉田さんを寛厚(かんこう)な人柄に育てた美智子さんならではの言葉だと思う。
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