五 「人と人とがふれあえば、情ってもんが生まれるんだよ」37

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五 「人と人とがふれあえば、情ってもんが生まれるんだよ」37

 翌日、神崎さんの身の振り方そのもにかかわるような事件が起きた。  私は会社に出勤してまもなく、彼女が退職したという情報を聞いて衝撃が走った。  すぐさま神崎さんに連絡をした。神崎さんも驚きを隠せず、動揺していた。どうして。なにも聞かされていない。  彼女が消えた。電話をしても同じメッセージが流され続けた。彼女は電源を切っているのだ。  もしかして、思い当たる人は、美智子さんだ。  私たちは仕事帰りに美智子さんの家に向かった。  美智子さんと家の玄関で顔を合わせたとき、おや、意外な組み合わせだねぇ。と呑気な 感じで言われた気がした。  私は彼女が会社を辞めたと思われる経緯を話した。 「実は、先日、あの子がひょっこり現れてねぇ、家に泊まってったけど、会社を辞めたとは一言も言わなかったよ。なにかあったとは思っていたけど、そんな酷い目にあっていたとはねぇ。あたしゃ、知らなかったよ。そう言えば、あの子、ちょっと変なことを言ってたねぇ。居心地のいい幸せを知ったから、手放す怖さを感じた。昔のようにもう強くなれないとか。あたしゃ、今はもう一人じゃないんだから、みんなに甘えりゃいいじゃないかと、とんちんかんな(なぐさ)めをしてしまったねぇ。そんなことを知ってりゃ、もっと他に言いようもあったけどねぇ。まったく恥ずかしいよ。軽はずみなことはしないと思うけど、心配だねぇ」  私は実家に帰ったのでは、と言ったが、そりゃあないわ。すぐに美智子さんに否定された。  以前、彼女が訪れたとき、美智子さんにデートのトラブルを打ち明けたらしい。  美智子さんは妹の件を聞いたあと、実家に電話をかけて、 「これ以上あの子にたかるようなまねはよしな。もし、それができなければ、彼女を養子縁組して、あたしが家族になる」と啖呵(たんか)を切ったらしい。  それを彼女に打ち明けたとき、 「そこまで思っていただいてありがとうございます」と彼女は頭を下げて喜んだそうだ。 「でもねぇ、結果的には彼女の帰る場所をあたしが(うば)っちまったんだねぇ。余計なことをしたよ。あたしゃね、ほんとにあの子が我が子のように思えてねぇ。あたしの人生の(しま)い方は、誰かに自分の味を伝えたい。味を遺してやりたいと思っていたんだ。それが娘なら幸せこの上ないことだ。それがあの子なんだ。あたしの人生の総決算のつもりでいたのに。こんなことになっちまうとは、自分が情けないよ」  美智子さんが悲しそうに気持ちを落とした。
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