85人が本棚に入れています
本棚に追加
/181ページ
五 「人と人とがふれあえば、情ってもんが生まれるんだよ」43
彼女は目に涙を浮かべて、心配をかけてすみません。と何度も謝り続けた。
「もういいんだ。もう気持ちを隠さなくていいんだよ。それよりよかった。ほんとうによかった」
と神崎さんが言ったとき、この数日の間、私は不思議と彼の声を聞いていなかったような気がした。
そうか、彼はずっと心配をしていたんだ。社交的な彼が無口になるくらい心配していたんだ。今まで通り、彼女に窮屈さを感じさせないように、がまんして見守っていたんだ。愛しているが故になせる包容力だ。彼が彼女のことを、本当に深く愛していることが伝わって来た。
私は椎名先生に支えられて、彼女は神崎さんに支えられて、旅館に戻った。受付で部屋を変更してもらった。彼女と椎名先生と私は同じ部屋に泊まることになり、神崎さんは一人で別の部屋に泊まることになった。あれだけ感情を露わにして失態を見せてしまったのに椎名先生が配慮してくれた。夕食はみんなで一緒に食べようということになった。
大事なことを忘れてはいけない。私は美智子さんと杉田さんに彼女を見つけたことを報告した。
「よかったよ。ほんとにもう」
美智子さんは涙ながらの声で安堵していた。
「そうか、やっぱりな。見つけてくれてありがとう。安心したよ」
杉田さんからは穏やかに、そして冷静な口調でお礼を言われた。
温泉は三人で入浴することにした。
こんな場合、男は損をするものだ。神崎さんは食事以外ずっとひとりで過ごすことになる。
「ごめんね、一人にして」と気遣ったのだが、「いや、今日はひとりになって考えたいこともあるから、気にしないで」と神崎さんは笑顔を向けた。やせ我慢だろうかと思いつつも、神崎さんの心使いに甘えさせてもらった。二人で話し合いたいこともあるだろうけど、そこは帰ってからにしていただこう。
夜は布団を並べて寝ることにした。彼女は真ん中だ。椎名先生が寝しなに彼女に一人で飛び出した理由を訊ねた。椎名先生が話していたとおり、彼女はみんなを巻き込んで、災いがふりかかることを恐れて、距離をとったことを打ち明けた。
彼女は与えられる愛情を望んだのではなく、与える愛情を選んだのでもなく、閉ざす心を持ち得たのかもしれない。彼女にとって大切で愛する人たちを守るために。それもわかる気がした。
椎名先生は彼女に二つのことを伝えた。
一つ目は、今度は私を誘って温泉に来ること。
二つ目は、明日、美智子さんに心配させたことをちゃんと謝ること。
「わかりました」
彼女は素直に返事をした。
最初のコメントを投稿しよう!