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一 「今のあなたに、彼女を受け入れる覚悟と勇気がありますか」2
ある日、私は直属の上司とともに会長室に呼び出された。
企画推進部に所属する私がどうして牧村会長に呼び出されたのかと疑問を抱きつつ、ふと、井谷課長は会長派だと、以前に聞いたことを思い出した。
それにしても、課長だけなら理解できるが、会長とは縁もゆかりもない私がどうして呼び出されたのか、不安を通り越して恐怖心が湧いてくる。
重い緊張感を背負い込んで会長室に入ると、今まで写真でしか見たことのない会長が笑顔を向けた。
実物だ。初めて本物を見た。一瞬で引き込まれるような魅力を感じた。
しかしながら、末端の社員である私は、雲の上のような存在である偉い人を目の前にして、体をこわばらせる緊張に取り巻かれた。おそらく課長も緊張していると思う。
会長の第一声は、忙しい中わざわざ来ていただいて申し訳ない。と労いともとれる言葉で私たちの緊張感を取り払おうとした。
私たちは恐縮した。
「本来の業務ではないが、ひとつ調べてほしいことがあるんだがね」
会長が笑顔を向けた。
「なんなりとお申し付けください」
課長が前屈み気味になって返事をする。
課長の言葉を待って、会長が本題に入った。
「杉田真一という社員のことを調べ直してほしい」
と端的に用件を伝える。
杉田という名前を聞いて、私は聞き覚えのある名前だと思った。
「杉田真一とは、スキャンダルを起こした社員のことですか」
会長は間違っていないというようにこくりとうなずいた。
「あの件はすでに処罰済みですが。それを再度検証するということですか」
課長は再確認の意味で訊ねた。会長が深くうなずいた。
私の記憶では、数年前、ある課長が社内不倫をして左遷されたという噂話だけが残っているにすぎない
「どうして今更そんないち社員のことを」
課長は疑問を抱いて訊ねた。
会長の話では、杉田さんはまったく知らない社員ではなく、彼の人間性や仕事ぶりを知っているらしく、不倫といったスキャンダルを起こすような男ではないらしい。
しかしながら男という動物は、他人からは見えない性的欲求を持っている動物だと私は認識している。
また、人事課が何の根拠もなく、左遷という処分を下すわけがないとも考えられる。少なくとも事実確認をしたうえで処分されたと思う。
現に、杉田さんはスキャンダルの処分を素直に受け入れている。その事実だけで、スキャンダルは満更でっち上げの嘘ではないことを証明していると判断できる。
なのに、会長は納得していないらしい。
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