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一 「今のあなたに、彼女を受け入れる覚悟と勇気がありますか」31
そこまで話した椎名先生が私に問いかけるように話してきた。
「あなたにとって、家族の定義とはなんですか。戸籍に名前が並んでいることですか。血のつながりだけですか。それだけでは欠如していると思います。わたくしにとって、家族とは、今の自分とこれからの自分を作り上げていく、ふれあいを感じられる存在だと思っています」
確かに、彼女の境遇を思えば、戸籍上だけで家族を締めくくるのは酷な話かもしれない。そのことだけを取り上げて言うなら、私はそうですねとしか答えられない。
母親、アルバイト先、同級生と彼女のことについて聞かされた話を振り返れば、彼女は、思春期の頃に、形骸化された家族愛のしきたりにがんじがらめにされていたのではないか。そう呪縛されていたのだ。
今でも彼女の中では「家族のためにつくしなさい」と母から叱り続けられているのかもしれない。
いくら努力をしても、期待にそった行為をしたと思っていても、相手には当然のように思われている行為。
まるで家族と言う名の森の中で途方に暮れている彼女の姿が目に浮かぶようである。
自分の存在価値が見いだせない。無為の状態。そんな彼女を思えば、虚しさがよどみ、憤りさえ感じた。
「彼女は社会人になり、ボーナスが出ると律儀にわたくしのところへ来て返済をしてくれました。二年前にはすべて返済をしてくれたのです。それでもわたくしに対する彼女の接し方は、今でも変わっていません。それに数年前から彼女には支えてくれる友人ができましたので、もう大丈夫だと思います」
椎名先生は優しい目をして心から安心した表情で言った。
私はその瞬間に杉田さんの顔が浮かんだ。
「あの、その友人とは誰ですか?」と私はとっさに訊ねていた。
「そんな無粋なことを他人から聞くもんじゃありません」と椎名先生に注意された。
そのあと少し雑談をして椎名先生の家をあとにした。
椎名先生の家を出ると辺りはもう真っ暗になっていた。
私は家に帰ると今日聞いたことをすぐにノート・パソコンに書き残した。
もう一度、彼女に会って話がしたいと思った。
【第一話:了】
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