二 「愛しているかと訊かれると」7

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二 「愛しているかと訊かれると」7

 彼女は椎名先生という居場所を見つけるまでの思いを告白した。 「私の中で、夢、希望、輝きなど、あらゆる先のあるものが消滅していきました。私が持ち得たのは身近な目標です。長く生きるではなく、一年後に目標をおくのではなく、学期末を見るのではなく、日曜になれば、目先の一週間を考えるのではなく、今日一日をとにかく生きてみようと、すぐそこにある目先の時間を過ごすことだけを考えました。当時の私はとても弱くて、私の人生は生きるに値しないとまで追い詰められていました。特に中学時代から椎名先生に会うまでは、生きていくことがこんなにも辛いことなのかと思いました。誰にも愛されていないと感じた時期です。私にとって、愛情とは、身近な存在ではなく、芸術のように、(まれ)で、私にとってとても尊いものでした。ですから、私は、極力、想い出を持たないようにしています。苦しい思いを抱き続けるのは苦手ですから」  彼女はそこまで話してから喉を(うるお)して一呼吸を入れた。  私の表情にかげりが生まれた。  思春期の頃、彼女の心は漂流していたのかもしれない。孤独な不幸をかこちながら必死で生きていたのではないか。想い出を持たない彼女は、私とはまったく異なる速さで思春期の時間を過ごしたのだ。  その後、彼女は孤独な自立を余儀(よぎ)なくされるまで追い詰められることになる。  私が暗い気持ちを(かも)し出したのだろう。逆に、彼女から励まされた。 「どうしたのですか。あなたが暗い表情を浮かべる必要はないのですよ。今の気持ちを語っているのではありません。もう過ぎたことですから。今の私は生きています」  彼女が力強く主張した。  私はDVDのチャプターを変えるように話題を進めた。 「その後、椎名先生と出会ったのですね」  彼女が深くうなずいた。  彼女の記憶が明るい日差しに傾きかけた。 「もし、椎名先生に出会わなければ、今、私は生きていないのかもしれません」  怖い告白だと思った。  彼女のことをなまじ知っているだけに、誇張(こちょう)しているのでもなく、嘘でもない、正直な告白だと言えるだろう。
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