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二 「愛しているかと訊かれると」9
彼女が東京へ向かったことを話し出したとき、私は家族との関係について訊ねた。両親には進路の話で家を出ることを打ち明けた。
当然、母親は烈火のごとく怒りだし、しばらく収拾がつかなかったという。
「親には迷惑をかけない。自分で働いて生活をしていくと決心を伝えたが、最後まで母親は納得しなかった。椎名先生が家に来て母親の説得を試みてくれましたが、了承までの理解は得られませんでした。父親は話に入ってきませんでした。あとで、椎名先生が父と話がついたことを教えてくれました。それで半ば家出のような旅立ちでした」
「家族と疎遠になることを悲しいと思わなかったのですか」と私は彼女に質問をした。
「あのまま家にとどまっても、思うような仕事は選べなかっただろうし、がんばって稼いだところで、私の貯金が貯まるわけでもない。いざというとき、それこそ先立つものがなにもありませんから、このままでは行く先で身動き一つ取れなくなるとわかっていました。それよりも、一度、家族と離れて、自分の生活を見つめ直す。自分の生活を作り上げることの方が大事だと思いました。未練などありませんでした。そのように判断できて行動に移せたのも椎名先生がいてくれたからこそです。その代わり、大学生活は、生きるために、生きていくために必死でした。すべての時間が今日を生きるためでした。将来といった先を考える余裕など持てなかった。明日のためにではなく、ひたすら今日の一日を生きていくことに、身も心も固くしていたように思います」
彼女は強い意志を持ち、すさまじい覚悟で自立をもぎ取ったのかもしれない。
新たな大学生活が始まり、彼女の人間関係について、私は訊ねた。
「当時、大学生活を営む上で、あなたの事情を知る人はいなかったのですか。たとえば椎名先生のような良き理解者や相談に乗ってくれるような友人とか」
「私のことは誰にも話したことがありません。周りから『かわいそうだ』と常套句みたいに言われるのが嫌でしたから。他人から同情されても、哀れみを持たれても、なにも変わりませんから。憐憫は気休めにしかならないでしょ。本当に自分を変えられるのは、その人の気構えと努力だけです」
彼女は意思強く断言した。
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