二 「愛しているかと訊かれると」11

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二 「愛しているかと訊かれると」11

 さて、次に語られるのはいよいよ就職してからのことだ。  杉田さんとの出会いになる。  これから使命の本題である核心に近づくことができる。  しかし、長年、人を遠ざけ、受け入れることを拒み続けた人は愛に飢えていたはずだ。杉田さんと出会う前にも、なにかしら男性との接触はあったはずだ。そういえば、同僚たちから初めて話を聞いたとき、チャラ男がちょっかいをだしたという話を聞いた。確かめてみよう。 「あなたが会社に勤めだしてから、ある男性からおつきあいを望まれていたという話を聞いたのですが」  彼女は一瞬で顔つきが変わり、憎悪する気持ちに鏡でもつきつけられたかのような表情を見せた。私はまずいことを聞いてしまった。触れてはいけないことに触れてしまった。この話題は、彼女にとって異郷で暮らす居心地の悪さを思い出させたようだ。 「すみません。ぶしつけな質問でした。申し訳ありません」と私は慌てて彼女に謝った。  彼女は気を取り直して、当時の気持ちを語ってくれた。  出来事は今から五年前のことで、彼女は二十八歳だ。  ある日、彼女は、炊事場である噂を耳にした。三十前の転勤者で、やたらと女性職員に声をかけるチャラ男がいると。節操(せっそう)のない悪い噂がたつ男など誰も真剣には相手にしない。どんなに誘われても友達を必ず同席させて二人以上の複数で参加をする。食事だけおよばれになってさっさと帰る。体良(ていよ)くたかられているようなものだ。自分には関係ない問題だと気にもとめていなかったが、彼女にも火の粉がふりかかることになった。炊事場、廊下、会社の出入り口付近で待ち伏せをして声をかけてくる。  しかしながら、男の言動には人に対する好意が見受けられない。次第に職場内でも噂が広がってくる。  ときには、一度くらいつきあってあげもいいんじゃない。あれだけ熱心に思われてるんだから、あんまり無視したらかわいそうじゃない。  他人の煩わしさ、迷惑、不幸といったものを、離れた観覧席で楽しんでいるとしか思えない発言が飛び交う。  相手はしつこく彼女に付きまとい、とうとう課長がいないときを見計らって、職場まで来て、みんなのいる前で彼女を誘った。  一瞬、彼女は、なにが自分に起こっているのか把握することができなかった。  職場では冷やかし半分と(あざけ)り半分を混ぜて、拍手しながら場を盛り上げる。男は調子に乗って、告白をテーマにしたテレビ番組にでも参加しているような気持ちで、一緒にお食事でも行きましょう。お願いします。と上半身を九十度に折り曲げて、右手を差し出した。彼女が手を差し伸べて握り返すとでも思ったのか、しばらく時間が過ぎても男は姿勢を戻さない。このとき男の唇は笑っているように見えた。とその場の感想を話した人もいた。  男の想定では周りの盛り上がりを利用してうまくいくと思っていたのだろう。
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