86人が本棚に入れています
本棚に追加
/183ページ
二 「愛しているかと訊かれると」12
二 「愛しているかと訊かれると」12
「遊ぶ女が必要なら周りにいくらだっているはずです。なにか勘違いをされていませんか」
彼女はきっぱりと断った。
「そう言わずに、お願いします」
男はなおも食い下がる。
「思いやりが欠落した人にしか見えません」
「そんなつもりはありません。俺には愛があります。是非、お願いします」
男が食い下がるたびに職場内から拍手がわき起こる。野次馬の中には、
「もったいぶってないで、一度くらいつきあってやれよ」
「値打ちもたすなよ」
と彼女の人格を非難し、侮辱するような野次まで飛ばしている者もいた。職場内が騒がしくなってくる。出入り口を野次馬達にふさがれた彼女には逃げ場がなかった。彼女は追い込まれた。彼女が終止符を打つには、はっきりと言うしかなかった。
「低俗な気持ちで異性を求める人とは関わりたくもありません。大切な人には純粋であるべきです。邪な気持ちを抱いた行為は、相手を愚弄しているのと同じです。あなたにはなんの興味もありません。迷惑ですから二度と顔を見せないでください」
あまりの剣幕に、一同がしんとなった。
男はあっけにとられた顔を上げて、彼女を見つめたままぽかんとしていた。
止まった時間が再び動き出したのは、「身も蓋もないことを」と誰かの声が聞こえ、周りからざわざわと口々に同意を得だしたときだ。
男は顔を真っ赤にしてその場を逃げ去った。
彼女はすたすたと歩き進み、食器を持ち、道を空ける同僚達の前を横切り、終始無言で炊事場へと向かったのだ。
「とてもいやなトラブルがあったのですね」
私が同情して言えば、
「私ならと簡単に口説けるとでも思っていたのでしょうね。欠落した人間性の部分やその周囲を勘違いして掘り起こしている行為と似ています。そもそも、いえ、もともと、私とは波長が合わなかったので。いやな人間だと思っていました。たとえどんなにブスだと周りから思われていたとしても、卑下する必要はありません。私にも相手を選ぶ権利がありますので。選りに選ってあんな人間をつかむ必要はありません。世の中がくだらない男性ばかりなら、私は一生一人でいることを選びます。私、人生を捨ててませんので」
彼女は毅然とした表情で言い切った。私は彼女の思いに、ずんと胸を突かれた。従容たる態度が垣間見えた。これだけは絶対に譲れないという気概が彼女にはある。これが彼女の魅力となるたくましさなのだ。
私はますます彼女と杉田さんの関係に深い興味を抱いた。彼女にどんなことがあって杉田さんを受け入れたのだろう。他人を閉ざしつづけた彼女が杉田さんを信頼するまでにどんな経緯があったのだろうか。おそらく、これから明らかにされるだろう。期待の大きさに待ち遠しさを含み、身体の核のようなものが弾ける思いを隠して、私は静かに時を待った。
最初のコメントを投稿しよう!