二 「愛しているかと訊かれると」15

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二 「愛しているかと訊かれると」15

 彼女は入社以来、経済的な不安の中で心細くてもこつこつとまじめに仕事を続けている。実家には月三万円の仕送りもしている。両親と妹の分、一人一万円の積算になる。  また大学卒業までに要した費用を、毎月三万円から四万円の範囲で、大学や椎名先生に、欠かさず返還を続けてきた。  部屋代として五万円から六万円だとすれば、残りで工夫しながら十年間も生活をしてきたことになる。  私のように実家でご飯や洗濯など親に面倒を見てもらいながら生活をしてきたわけではない。彼女はずっと一人で繰り返される節約生活を持続してきたのだ。心身ともに憔悴(しょうすい)した身体を奮起させながらずっと働き続けた。夢も目標も持てず、ただ働いてきた。先のことは考えない。目先の一週間、目先の一日、目先のことだけを考えて働き続けた。真面目に与えられた仕事をもくもくとこなす。生活していくために、必要なお金のために、それだけのために働き続けてきた。過重に背負わされた返済人生に(むな)しくならないのだろうか。余暇を楽しむなんてもっての外、恋など入る余地もない。長い間、(くじ)けず、諦めることなく、人として落ちることもなく、よくがんばり通せたものだ。これもすべて椎名先生の恩に報いるために成し得たことに違いない。  彼女が他人や娯楽や他のことに目を向けるには、あまりにも生活に余裕がなさ過ぎたのだ。みなぎる人生とはとても言えない。  しかし、この十年間、彼女は自らを取り巻く生活環境の中で、静謐(せいひつ)と厳しさをしっかりと保ちながら生きてきたことを考えれば、精神的なこととして、魂の崇高(すうこう)さが伝わってくる。  人の強さとは、人のたくましさとは、外見的な見栄えや肩書きではない。人の根幹にある精神ではないか。誰もが自分が一番大事だと思うだろう。  しかし、我が身のために、他人を(だま)すわけでもなく、他人を蹴落(けお)とすわけでもなく、他人に危害を加えるわけでもない。  私に言わせてもらえれば、彼女の人間性は尊敬に値する。  彼女が杉田さんと出会うまでの話を語り終えたとき、スイーツのカップを片づけようとした。私は彼女の片付けを制して、台所まで運んだ。カップを洗いながら台所に目を向けた。手入れの行き届いた台所で、こんな点でも、彼女の人間性がうかがえる。  椎名先生と話したときに、「彼女が健康で笑顔で幸せならばなによりです」と語ったことを思い出した。我が子を見守る母のような思いだ。彼女に手を差しのばしたくなる気持ちがわかる。彼女を守ってあげたい。彼女を支えてあげたい。彼女の幸せを祈ってあげたい。心からそう思える自分が素敵にさえ思えるほどだ。
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